村雨 辰剛(むらさめ たつまさ、1988年7月25日 - )は、日本の庭師、俳優、タレント、モデル。スウェーデンのスコーネ県エルケルユンガ(スウェーデン語版)出身、2015年(当時26歳)に日本に帰化した。出生名は、ヤコブ・セバスチャン・ビョーク(典: Jakob Sebastian Björk)。所属事務所はワイエムエヌ。
むらさめ たつまさ 村雨 辰剛 | |
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本名 | 村雨 辰剛 |
生年月日 | 1988年7月25日(35歳) |
出身地 | スウェーデン |
国籍 | スウェーデン → 日本 |
身長 | 182 cm |
血液型 | O型 |
職業 | 庭師、俳優、タレント、モデル |
ジャンル | 造園業、テレビドラマ、バラエティ |
事務所 | ワイエムエヌ |
公式サイト | 公式プロフィール |
主な作品 | |
テレビドラマ 『カムカムエヴリバディ』 『大奥 Season2 医療編』 『どうする家康』 テレビ番組 『みんなで筋肉体操』 『趣味の園芸』 |
村雨辰剛 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2020年7月14日 - |
登録者数 | 10.8万人 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年12月27日時点。 |
1988年、スウェーデンで生まれ育つ。中学校の世界史の授業で日本の歴史や文化に興味を抱き、独学で日本語の勉強を始める。16歳で日本に3カ月間ホームステイ。日本の伝統文化に魅了され「日本で日本人として暮らしたい」という目標を持ち、高校卒業後に渡航費を貯めて19歳で日本へ移住。英語・スウェーデン語の語学講師として働いた後、23歳で日本の伝統文化に関わる仕事がしたいと造園業の世界に飛び込む。愛知県で庭師として5年間修行を積み、拠点を関東へ移す。26歳の時に日本国籍を取得し『村雨辰剛』に改名。
語学講師時代に愛知県の外国人事務所からスカウトされモデル・翻訳の仕事を始める。2016年(27歳)から東京の芸能事務所に所属し庭師の仕事と並行してタレント活動開始。2018年『みんなで筋肉体操』で一躍注目され、2021年『カムカムエヴリバディ』のロバート・ローズウッド役に抜擢されたのを機に俳優業を本格化。
「僕の人生は情報量が多すぎてなかなか伝えきれない」と語り、2019年と2022年に自身の半生を綴った自伝的エッセイを出版。
現在は庭師・俳優という異色の二足のわらじを履きながら活動の場を広げている。
1988年7月25日、スウェーデンで誕生した。幼い頃に両親が別れることになり、実の母親とスウェーデン空軍パイロットの継父によって、スウェーデン南部スコーネ地方の人口8000人ほどの小さな田舎町で育てられた。周囲には畑しかなく、自然豊かだが刺激のない孤立した環境が嫌で、子供の頃から外に出て行きたいという気持ちが強かった。6人兄弟の長男だが、スウェーデンには長男が家督を継ぐといった考え方がないため、地理的にも文化的にも懸け離れた海外で生活したいと思っていた。
継父の影響で将来はスウェーデン陸軍のレンジャー部隊へ入ることを考える一方、中学校の世界史の授業で日本の歴史を知って興味を抱き、Yahoo!チャットで日本人を見つけ、チャットで日本語を勉強していた。幼い頃から「?」が多いものに魅力を感じる性格だったと回想しており、日本の歴史では戦国時代や武士道に関心を抱いた。日本語の学習には英日辞典を使い、単語を片っ端から頭に叩き込んだ。他人と群れるのが嫌いで、常に英日辞典を持ち歩き、少しでも時間があると一人で辞典を広げて日本語を覚えていたため、周囲からは変なヤツだと見られ、友人からは「ヤポン(日本人)」とあだ名を付けられていた。現在は、スウェーデン語、英語、日本語の三言語話者である。
日本に留学したかったが経済的な理由で断念せざるを得ず、自分で何とかしようと考えてスウェーデンから日本の高校へ直接電話を掛けて交渉したものの何校も断られた。そんな時、チャットで知り合った60代の日本人男性が村雨の熱意を知り、「そんなに日本に来たいなら、うちにホームステイしますか」と招いてくれたことから、16歳の夏休みの時に初めて日本を訪れ、神奈川県横浜市で3カ月間のホームステイをした。ホームステイ先は何代も続く旧家であり、日本の伝統的な生活を体験することができた。日本滞在中はホームステイ先が経営する幼稚園の手伝いをしながら、鎌倉や周辺の神社仏閣を訪れたり、近くの高校のアメリカンフットボール部の練習に参加させてもらい、日本の学生生活の一端を経験したという。ホームステイ後は日本に住みたい気持ちが強くなっていき、レンジャー部隊の入隊試験に合格したものの入隊を辞退し、高校卒業後にアルバイトをしてお金を貯めて19歳で日本へ移住した。移住を決めた頃にはかなり日本に傾倒しており、帰化して日本人になりたいと考えていた。
日本へ移住後は愛知県名古屋市で英語やスウェーデン語の語学講師として働き始めた。その時点では仕事内容は重視しておらず、将来的に帰化するとしたら一定期間以上、日本に住み続けて安定した収入が必要だったために自分の語学力を活かした仕事に就いただけだった(本当は日本の伝統的な職に就きたいと思っていたが、仕事を探す方法がわからなかった)。語学講師時代に外国人が所属する事務所からスカウトされ、モデルや翻訳の仕事をするようになった。
しかし、2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生し、スウェーデンの家族から大いに心配され、親から安否確認の電話が毎日掛かってきて「帰って来て欲しい」と何度も言われた(当時スウェーデンではチェルノブイリ原発事故の被害が脳裏にあり、日本は放射能で滅びるというくらいの勢いで報じるメディアもあった。そのため地震発生から数日が経ち、親から何度も電話が掛かってきた。日本と外国では情報伝達の時間差もあり、報道のされ方にかなりの温度差があったことを後になって知ったという)。村雨自身は親の心配は大げさだと思っていたが、ちょうど語学講師の契約が切れるタイミングでもあったため、親に顔を見せて安心させるためにもスウェーデンに一旦帰国した。日本に移住してから始めての帰省で、自分の今後の方向性について真剣に考える良い機会となった。そして自分の仕事や将来についての悩みを親に相談したことで心が軽くなり、日本に住み続ける決意を再び固めた。
約1か月後に再来日し、今度は日本の伝統的な職に就きたいと思って仕事を探し始めた。最初は宮大工になりたかったが大工の経験がないと無理だと数社から断られ、なかなか仕事が決まらぬまま2~3カ月が経過した。生活費がギリギリになったところで求人情報誌で「造園業」という言葉を見つけ、意味を調べると自分の探していた仕事にピッタリだと思い、名古屋市の山本庭苑という造園業者で2011年8月1日から短期アルバイトとしてワンシーズン(8カ月)働いた。仕事内容は掃除や荷物運びなどの「お手伝い」だったが、休憩時間には植物の名前や世話の仕方を教えてもらったり、3カ月が経った頃からは鋏を持たせてもらい、剪定の理論ややり方など基礎的なことを学んだ。この時の経験から庭師になりたいと思うようになった。
村雨は元々徒弟制度に憧れを抱いていた。その理由として「学校へ通って、決められたカリキュラムをこなすだけでは学べないことがある」と述べている。山本庭苑のアルバイト経験で庭師の仕事に憧れ、親方に弟子にして欲しいと頼んだが、既に兄弟子が存在し、これ以上の弟子を採る余裕が無かったため断られた。
アルバイト期間が終了し、造園業の仕事を探し始めたものの外国人であることが壁となり数十社から断られた。ハローワークへ相談に行ったとき、職員の知り合いの庭師の親方がすぐに働ける弟子を探していたことから、担当者に紹介してもらい愛知県西尾市の加藤造園に採用された。2012年6月1日(23歳の時)から庭師の徒弟となり、5年間修業を積んだ。親方は無口で厳しく「仕事は見て覚えろ」という昔ながらの職人タイプの人物だった。一度も褒められたことはないが、親方とは家族のような絆を感じているという。庭師としては西洋の庭園は人工的だと感じる一方、日本庭園は自然と対話して人間が自然と触れた時の感覚を再現しようとしており、経年変化を良いものと捉える美意識があると語っている。
日本へ移住した19歳の頃から帰化して日本人になることを考えており、庭師という天職に出会ったことで自分の居場所が定まり「これからも日本で生きて日本で死にたい」という気持ちが固まったため、26歳の時(2015年)に日本に帰化した(スウェーデン国籍を離脱し日本国籍を取得した)。日本名の「村雨」は親方の父親(先代の師匠)が提案してくれた名前で、親方の父親が好きだった歴史作家の村雨退二郎に由来する。「辰剛」は自分で考えた名前で「辰」は辰年生まれであることに由来し、「剛」は親方の名前から一文字いただいた。なお、日本へ帰化する際には、スウェーデン人の親から「戦争になったら、日本のために戦って死ねるのか」と問われたが、村雨は自分の覚悟を伝え、許してもらったという。また、この頃からSNSなどを通じて「日本に帰化したスウェーデン出身のイケメン庭師」とメディアで取り上げられるようになった。
2016年1月2日(27歳の時)、株式会社YMNにタレントとして所属。庭師の仕事に支障が出ない範囲でテレビ番組やラジオ番組、テレビ広告などに出演するようになる。
加藤造園では庭の手入れや管理の技術、礼儀作法・立ち居振る舞いなどを叩き込まれて学んだが、一から庭園を造る「設計」の仕事がほとんどなく経験を積むことができなかった。このまま庭の管理だけをしていては庭師として、人としても成長が止まってしまうと考え、環境を変えてみたいと思い、親方とも相談した上で5年間の修業を終えて、2017年に東京の大きな造園業者に転職した。声を掛けてくれた造園業者では契約社員のような形で造園部に入り、施主との打ち合わせから料金に見合った提案をして事務作業も行うなど、加藤造園の従業員だった時には経験できなかったことを学んだ。売上げや利益のことなども初めてしっかり把握することができた。一方で、愛知県にいた時よりも日本庭園に接する機会は減り、和風の庭から洋風へ造り替えて欲しいといった依頼が多く、日本庭園が減少していくことに寂しさを感じた。
また、関東へ引っ越したことでメディアに出る仕事が多くなっていき、日本庭園の良さをメディアで話したり、SNSで自身の活動を発信することで徐々に世間に認知され始めた。
2018年8月、NHK『みんなで筋肉体操』に出演。SNS上で大きな話題となり、一躍注目されるようになる。
2019年3月、初の自伝的エッセイ『僕は庭師になった』を出版。
2020年頃、庭師として正式に独立し個人自業主となる。仕事道具の置き場所に困っていたことから、住居兼事務所として築60年の古い日本家屋を借り、和風の生活スタイルを紹介するYouTubeチャンネル『村雨辰剛の和暮らし』を開設した。
2021年4月、NHK Eテレ『趣味の園芸』のナビゲーターに就任。
2021年11月、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』のロバート・ローズウッド役に抜擢され、さらに注目度が高まる。長い間、演技に挑戦してみたいと思っていたが、初めて大役を得たことにより演じることの楽しさに目覚め、役者としても活動したいと思うようになった。
2022年6月、2冊目の自伝的エッセイ『村雨辰剛と申します。』を出版。
2023年6月、国際短編映画祭作品『The Izakaya Dialogue』で映画初主演。同年、NHKドラマ10『大奥』にて金髪碧眼の蘭学者・青沼役を演じ、念願だった漫画原作、時代劇に出演するという2つの夢を叶えた。
庭師の仕事は季節によって仕事量にバラつきがあるため、今後は庭師と俳優・タレントの仕事をバランスを取りながら両立していきたいと語っている。
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