本庄市(ほんじょうし)は、埼玉県の北西部に位置する市。
ほんじょうし 本庄市 | |||||
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本庄まつりの山車 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 埼玉県 | ||||
市町村コード | 11211-9 | ||||
法人番号 | 4000020112119 | ||||
面積 | 89.69km2 | ||||
総人口 | 77,863人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) | ||||
人口密度 | 868人/km2 | ||||
隣接自治体 | 深谷市、児玉郡美里町、上里町、神川町、秩父郡長瀞町、皆野町 群馬県:伊勢崎市、佐波郡玉村町 | ||||
本庄市役所 | |||||
市長 | 吉田信解 | ||||
所在地 | 〒367-8501 埼玉県本庄市本庄三丁目5番3号 北緯36度14分37秒 東経139度11分25秒 / 北緯36.24358度 東経139.19039度 東経139度11分25秒 / 北緯36.24358度 東経139.19039度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
中山道の宿場・本庄宿が置かれた。本庄宿は中山道の中で最大の宿場町として栄え、明治時代には本庄への遷都が推薦されていた事がある。
埼玉県の北西部県境に位置し、北に利根川が位置し、市内中央部にJR高崎線が、南部に関越自動車道と上越新幹線が東西に横断している。市街地は本庄駅付近に集中する。国道17号(本庄駅北側)より北部は畑が広がり、住宅密集地は本庄駅の南部方面に広がっている。本庄北部は畑が広がっているために、風をさえぎる物がなく、秋冬では西風が強い。内陸の台地(北武蔵台地・本庄台地)で比較的安定した風土を保つ。旧市内域(児玉町合併以前)では、3分の2が台地上に当たる。一方で、児玉南部方面は山麓地帯であるために、夏場では山間独特の湿度の高さがあり、土砂崩れも多いようである。
利根川に架かる坂東大橋が架け替えられ、2004年3月6日に開通した。また同年3月13日には、上越新幹線の本庄早稲田駅が開業した。
中世では軍事的に重要な拠点の一つだった(五十子陣の方を参照)。
旧石器などの遺物の出土や縄文期、弥生期、古墳期と、各時代にそれぞれ遺跡がある事からも分かるように原始時代の頃より本庄には人々が暮らしていた。
本庄の古墳時代の特色として、旧児玉町下浅見の鷺山古墳が4世紀中頃(333年 - 366年)まで遡る県内でも最古級かつ最大(全長約60m)の前方後方墳に当たる事、また、本庄の大久保山古墳群の前山1号墳は県内最大の前期前方後円墳であり、武蔵国北部に顕著な巨大円墳も古墳時代の本庄の特色の一つである。
平安時代にこの地域を群雄割拠した武蔵七党の一つにして最大勢力を有した児玉党を構成する(かつ党首でもあった)庄氏本宗家が当地に館を築き、鎌倉時代に庄氏から派生した本庄氏がこの地に土着した事が地名の由来である。
12世紀頃、 武蔵七党中最大の武士団である児玉党の本宗家4代目庄太夫家弘が現在の本庄市栗崎の地に館を築く(以降、本宗家の領地となる)。
13世紀頃、庄太郎家長の四男、時家が本庄氏を名乗り、現在の本庄市北堀の地に館を築く。
15世紀には五十子陣が築かれて古河公方と対立する関東管領上杉氏の事実上の本拠地となったが(享徳の乱)、上杉軍の内紛(長尾景春の乱)によって放棄せざるを得なくなった(五十子の戦い)。
16世紀の終わりに本庄氏が没落し、信濃国から移された小笠原氏の城下町となり、のちに本庄藩が生ずるも17世紀初期には廃藩となった。中世に武家の領地(城下町)として始まり、近世では幕府の政策の都合から宿場町として栄え、商人の町として発展し、戸谷半兵衛と言った豪商も輩出している。18世紀には中山道で最大の宿場町となり、各地から人や物流が集中した。明治以降は生糸・絹織物の産地として栄え、工場も建てられるようになり、東諸井家など日本の近代化に貢献した一族も輩出した。
本庄市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 本庄市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 本庄市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
本庄市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 中島一十郎 | 1954年(昭和29年)8月6日 | 1958年(昭和33年)8月4日 | |
2 | 増野一吉 | 1958年(昭和33年)8月5日 | 1970年(昭和45年)8月4日 | |
3 | 高橋福松 | 1970年(昭和45年)8月5日 | 1975年(昭和50年)9月16日 | |
4 | 山田一男 | 1975年(昭和50年)10月26日 | 1979年(昭和54年)10月25日 | |
5 | 織茂良平 | 1979年(昭和54年)10月26日 | 1989年(平成元年)5月21日 | |
6 | 茂木稔 | 1989年(平成元年)7月2日 | 2005年(平成17年)7月1日 | |
7 | 吉田信解 | 2005年(平成17年)7月2日 | 2006年(平成18年)1月9日 |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 吉田信解 | 2006年(平成18年)2月5日 | 現職 |
ほんじょうし 本庄市 | |
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廃止日 | 2006年1月10日 |
廃止理由 | 新設合併 本庄市(旧)、児玉郡児玉町 → 本庄市(新) |
現在の自治体 | 本庄市(新) |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村コード | 11211-9 |
隣接自治体 | 深谷市、児玉郡児玉町、美里町、上里町 群馬県:伊勢崎市、佐波郡玉村町 |
本庄市役所 | |
所在地 | 埼玉県本庄市 |
ウィキプロジェクト |
児玉郡の5町村(美里町、児玉町、神川町、神泉村、上里町)との合併が協議されていた(児玉地域合併協議会・新市名:こだま市)が、美里町の離脱により2004年6月、協議会は解散した。
2005年1月に児玉町との間で合併協議会が設置された。2006年1月10日に新設合併し、新しい本庄市となった。
氏名 | 会派名 |
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齊藤邦明 | 自由民主党埼玉県議会議員団 |
飯塚俊彦 | 自由民主党埼玉県議会議員団 |
選挙区 | 議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
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埼玉県第11区(本庄市など)、秩父郡、児玉郡、大里郡) | 小泉龍司 | 自由民主党 | 6 | 選挙区 |
市外局番は0495(本庄MA)。児玉郡上里町、児玉郡美里町、児玉郡神川町(一部0274地区は除く)への通話は市内局番で通話可能。収容局は埼玉本庄局と児玉局。
また、かつては本庄電気軌道も存在した。
タクシーの営業区域は県北交通圏で、熊谷市・深谷市・行田市・加須市・羽生市などと同じである。
大正後期の時代(1920年代)に、下記の映画館が存在していた。「常磐座通り」と呼ばれる通りは現存する。
1957年(昭和32年)には、下記の映画館が存在していた。上記と重なるのか、所在地等は不明、いずれも現存しない。
現在は市内には映画館は存在せず、近隣の児玉郡上里町に「ユナイテッド・シネマ ウニクス上里」が2007年(平成19年)8月15日に開業した。
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