大村海軍航空隊(おおむらかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。搭乗員の訓練を目的に、あらゆる機種の訓練を推進した。昭和19年後半頃より、戦闘機隊教官を中心に防空任務を担当するようになり、成都を基地とするB-29戦略爆撃機隊の邀撃に参加した。末期には沖縄の地上戦を支援するために、爆装零戦による特別攻撃にも従事した。昭和18〜19年にかけて、操縦者の大量育成を図るために、3個分遣隊が増設された。これらは昭和19〜20年に独立し、元山海軍航空隊(げんさんかいぐんこうくうたい)・諫早海軍航空隊(いさはやかいぐんこうくうたい)・釜山海軍航空隊(ふざんかいぐんこうくうたい)となった。本稿では大村海軍航空隊(大村空)に加え、大村空分遣隊より独立した各航空隊についても述べる。
ワシントン海軍軍縮条約の発効とともに、海軍は補助戦備の大転換を画策し、航空隊の増強を狙った。従来の航空教育は横須賀海軍航空隊が担っていたが、大増強のためにはさらなる飛行場と航空隊が必要であった。そこで、東日本と西日本に大規模な航空基地を設置し、基礎訓練から実用機慣熟訓練までを一貫して行う教育航空隊を設置することとした。東日本に設置したのが霞ヶ浦海軍航空隊、西日本が大村空である。以前より航空船訓練や暫定飛行場として使用実績がある霞ヶ浦とは違い、大村は一からのスタートとなった。佐世保鎮守府に近い平坦地で、陸軍歩兵第46連隊の衛戍地として軍への協力が取り付けやすい長崎県東彼杵郡大村町(現・大村市)の海岸に滑走路を設置し、横空・佐空・霞空に続く第五の海軍航空隊として開かれた。大陸に最も近い航空基地として、日華事変の際には木更津海軍航空隊の渡洋爆撃基地として機能し、また、手狭な佐世保飛行場に代わって佐世保海軍航空隊戦闘機隊が駐留していた。
以後、大村市は18回爆撃、そのたびに三五二空・大村空で邀撃。
大村飛行場は相次ぐ空襲で壊滅的な被害を受けていたため、訓練は不可能な状態にあった。一方、本土決戦の際には基地として使用できるようにするため、海軍乙航空隊の西海海軍航空隊の隷下に置くこととなった。このため、伝統ある大村空も解散となった。笠之原に残留した神剣隊は解散を許されず、第七二一海軍航空隊に委譲され、5月14日の第六神剣隊の出撃をもって壊滅した。
水上機・飛行艇を除く各種陸上機・艦上機。 ただし、横須賀海軍航空隊で訓練した気球隊、霞ヶ浦海軍航空隊で訓練した飛行船隊の配属はない。
昭和30年より海上自衛隊が使用を開始し、大村航空基地が発足した。同時に民間航空も開設された。長らく民間と海自が競合していたが、昭和50年に沖合の箕島に新滑走路が開かれ、民間機はすべて新滑走路に移転した。
朝鮮半島中部の元山飛行場は、開戦時に活動した陸攻隊の元山海軍航空隊が原隊としていたが、南方に進出したまま帰還することができなかったため、施設に余裕があった。そこで、初歩訓練を終えて戦闘機実用訓練に入った訓練生の教育を推進するため、昭和19年3月15日に元山分遣隊を設置した。他の分遣隊より一足早く、同年8月10日に独立し、二代目の元山空となった。沖縄地上戦に際し、元山空は特攻隊として「七生隊」を派遣し、大村空の神剣隊と統一行動を取っている。元山空の行動については元山海軍航空隊#二代元山海軍航空隊を参照されたい。
昭和19年3月15日に大村空の分遣隊として、長崎県諫早市小野の逓信省長崎地方航空機乗員養成所を接収して設置された。昭和20年3月1日に独立し、陸上機初歩訓練を継続した。諫早航空隊に附属して海軍病院が設置されたため、8月9日の長崎市への原子爆弾投下の際には、いち早く被災者の受け入れを実施している。司令は竹中正雄大佐が独立当日より着任し、解隊まで指揮した。
昭和19年5月15日に大村空の分遣隊として、済州島の海軍飛行場に設置された。昭和20年に入ると、海上護衛総司令部隷下の第九〇一海軍航空隊が駐留するため、済州島分遣隊の移設が必要となった。そこで釜山市近郊の金海飛行場に移転。2月11日に独立し、陸上機初歩訓練を継続した。司令は林季樹予備役大佐が分遣隊長から横滑りしたのち、5月11日に現役の高橋俊策大佐と交代し、終戦後解隊した。
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