大村市(おおむらし)は、長崎県において諫早市と共に県央とされる市。長崎空港があることから、長崎県の空の玄関口としての面も併せ持つ。
おおむらし 大村市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 長崎県 | ||||
市町村コード | 42205-3 | ||||
法人番号 | 5000020422053 | ||||
面積 | 126.73km2 | ||||
総人口 | 97,093人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) | ||||
人口密度 | 766人/km2 | ||||
隣接自治体 | 諫早市、東彼杵郡東彼杵町 佐賀県:鹿島市、嬉野市、藤津郡太良町 | ||||
市の木 | イチイガシ | ||||
市の花 | おおむらざくら | ||||
大村市役所 | |||||
市長 | 園田裕史 | ||||
所在地 | 〒856-8686 長崎県大村市玖島一丁目25番地 北緯32度54分00秒 東経129度57分30秒 / 北緯32.9度 東経129.9583度 東経129度57分30秒 / 北緯32.9度 東経129.9583度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
人口は9万人と中規模ではあるが着実に人口が増加している(1970年から50年近く連続で人口増)。
県央地区に位置しており、諫早市・長崎市・佐世保市へのアクセスも良くベッドタウンとしての一面を持つ。現在もその傾向は強く、新興住宅地や中規模マンションの開発が行われている。
交通の便はJR(西九州新幹線・大村線)・バス・航空(長崎空港)・船舶・高速道路(大村IC・木場スマートIC)等がある。近年では、長崎県交通局(県営バス)が運営する高速シャトルバスや空港バス(長崎空港リムジンバス)の運行により長崎市内へのアクセスが整備された。
以前より企業・大学誘致に力を注いでいる。商業については郊外に大型店舗等の進出が多く、2013年(平成25年)には核店舗であった大村浜屋が閉店するなど、昔ながらの商店街は苦戦しているものの中央部は大型マンション、郊外では新興住宅地の開発が進んでいる。土地が平坦なためか、自転車の利用も非常に多い。
財政では大村競艇場の売上が増加している影響もあり、市への繰入れ金額も増加している。
2019年10月5日に長崎県立図書館(ミライon図書館)が全館オープンした。
元大村海軍病院の国立病院機構長崎医療センター(ドクターヘリ配備)、元海軍共済病院の大村市民病院を有する。
多良山系の西麓、大村湾の東岸に位置する。大村平野は長崎県内でも数少ない、まとまった面積を持つ平坦地でもある。
市西部の市街地は郡川・大上戸川の扇状地の上にある。平野部が比較的広く生活の不便が少ない。また、平野部から山間部にかけてはなだらかな起伏となっている。市の東部は標高1,076mの経ヶ岳を筆頭に多良山系の切り立った山地があり、各河川によって深い谷が刻まれる。
大村(1996年 - 2020年(降水量、平均降水日数は1991年 - 2020年))の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.3 (68.5) | 22.0 (71.6) | 25.0 (77) | 28.3 (82.9) | 31.7 (89.1) | 36.2 (97.2) | 37.2 (99) | 38.7 (101.7) | 36.0 (96.8) | 32.2 (90) | 27.6 (81.7) | 24.9 (76.8) | 38.7 (101.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.5 (50.9) | 12.0 (53.6) | 15.5 (59.9) | 20.3 (68.5) | 24.6 (76.3) | 27.3 (81.1) | 30.8 (87.4) | 32.6 (90.7) | 29.3 (84.7) | 24.5 (76.1) | 18.6 (65.5) | 12.9 (55.2) | 21.6 (70.9) |
日平均気温 °C (°F) | 6.7 (44.1) | 7.6 (45.7) | 10.7 (51.3) | 15.2 (59.4) | 19.7 (67.5) | 23.3 (73.9) | 27.1 (80.8) | 28.3 (82.9) | 25.0 (77) | 20.0 (68) | 14.4 (57.9) | 9.0 (48.2) | 17.3 (63.1) |
平均最低気温 °C (°F) | 2.9 (37.2) | 3.5 (38.3) | 6.2 (43.2) | 10.8 (51.4) | 15.5 (59.9) | 20.0 (68) | 24.3 (75.7) | 25.1 (77.2) | 21.6 (70.9) | 15.9 (60.6) | 10.4 (50.7) | 5.3 (41.5) | 13.5 (56.3) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.2 (20.8) | −4.7 (23.5) | −0.9 (30.4) | 2.7 (36.9) | 7.7 (45.9) | 12.8 (55) | 18.0 (64.4) | 19.1 (66.4) | 13.3 (55.9) | 7.6 (45.7) | 2.1 (35.8) | −2.4 (27.7) | −6.2 (20.8) |
降水量 mm (inch) | 57.4 (2.26) | 77.4 (3.047) | 112.6 (4.433) | 143.5 (5.65) | 158.0 (6.22) | 305.5 (12.028) | 305.5 (12.028) | 221.1 (8.705) | 179.7 (7.075) | 94.3 (3.713) | 88.3 (3.476) | 67.7 (2.665) | 1,811.1 (71.303) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 8.0 | 8.3 | 10.2 | 9.2 | 8.7 | 12.7 | 11.0 | 10.2 | 9.0 | 5.8 | 7.9 | 8.1 | 109.1 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁 |
大村藩の起源は言い伝えによると藤原氏の遠縁にあたる藤原直純(諸説あり)が900年代前後に東彼杵荘大村に入り、久原(大村市久原町)に屋敷を建てて定住したのが始まり。その後16代領主純伊の際、島原の有馬氏に敗北。所領を失った。
しかしその後は北九州地方の豪族の手を借り旧領を回復。豊臣秀吉以前の大村家は長崎外海地方(現在の出島の起源とも)を領有しており、南蛮貿易も盛んだった。18代領主大村純忠は日本初のキリシタン大名。当然領内のキリスト教信仰は盛んになるが、反面仏教を排斥するというキリシタンの暴徒化もあり、いくつかの寺が焼き討ちされた。
19代(初代藩主)大村喜前の代で関ヶ原の戦いが起きた。大村家は東軍に付き、所領を安堵される。2万7千石の城下町として栄えたが、彼の代よりキリシタン弾圧が始まり、1657年(明暦3年)の郡崩れ(こおりくずれ)では、608名が検挙され、最終的に411名が処刑された。
幕末は明治新政府側につき、最終的に3万石となり、廃藩置県により大村県とされた後、長崎県に統合された。最後の藩主は大村純熈であった。
明治維新の際は明治政府側に立ったため所領を安堵され、明治以降も医学・政治などの分野で多くの偉人を輩出している。
大村藩の領地であった彼杵郡は東西に分割され、1889年の町村制施行によりさらに細分化された。大村藩解体後もしばらくは西彼杵半島方面との繋がりも深かったものの、城下町としての地位を失った大村は衰退をみることとなる。
1897年に熊本の歩兵第46連隊(日本陸軍)が放虎原(ほうこばる)に駐屯し、各種サービス業者が営業を開始したことにより状況は一変する。1923年には海軍航空隊が、1941年にはアジア最大ともいわれた第21海軍航空廠が開設され、大村は「軍都」として発展した。1941年の人口は3万3千人ほどであったが、1943年には6万7千人と倍増し、1942年2月11日に大村町、三浦村、萱瀬(かやぜ)村、福重(ふくしげ)村、鈴田村、松原村の1町5村が合併し市制施行した。
第21海軍航空廠は1944年10月25日の大村大空襲で壊滅し、その後も度々米軍の艦載機等の攻撃に晒されている。長崎市への原子爆弾投下の際には海軍や陸軍の病院があったため(前者は現在の国立病院機構長崎医療センター、後者は現在の市立大村市民病院)多くの被爆者が搬送されてきた。一時期、長崎師範学校(現: 長崎大学教育学部)や長崎医科大学基礎医学部などが大村市内に移転しており学園都市としての発展も期待されていたが、いずれも1949年から1953年にかけて長崎市に再移転している。
戦後は世界初の海上空港である長崎空港や高速道路などのアクセスの利便性を活かしたハイテク産業などの面でも発展を続けている。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 山口尚章 | 1942年7月15日 | 1946年7月14日 | |
2-3 | 松本寅一 | 1946年8月15日 | 1948年12月27日 | |
4 | 柳原敏一 | 1949年1月31日 | 1952年11月17日 | |
5-8 | 大村純毅 | 1952年12月10日 | 1968年12月9日 | |
9-10 | 松本寅一 | 1968年12月10日 | 1976年5月26日 | |
11 | 高木隆虎 | 1976年6月20日 | 1979年3月27日 | |
12-13 | 戸島英二 | 1979年4月22日 | 1987年4月23日 | |
14-15 | 松本崇 | 1987年4月26日 | 1994年9月15日 | 収賄容疑で逮捕され辞職 |
16-17 | 甲斐田國彦 | 1994年10月16日 | 2002年10月15日 | |
18-21 | 松本崇 | 2002年10月16日 | 2015年9月25日 | 在職中に病死 |
22-23 | 園田裕史 | 2015年11月8日 | 現職 |
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 谷川弥一 | 80 | 自由民主党 | 前 | 57,223票 | |
比当 | 山田勝彦 | 42 | 立憲民主党 | 新 | 55,189.084票 | ○ |
山田博司 | 51 | 無所属 | 新 | 25,566.906票 | ||
石本啓之 | 52 | 改新党 | 新 | 2,750票 |
ホテル
大村市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大村市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 大村市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
大村市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
中心駅は大村駅。【 】印は快速列車全列車が停車する駅。
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