地理学(ちりがく、英: geography、仏: géographie、伊: geografia、独: Geographie (-fie) または Erdkunde)は、地球表面の自然・人文事象の状態と、それらの相互関係を研究する学問。地域や空間、場所、自然環境という物理学的存在を対象の中に含むことから、人文科学、社会科学、自然科学のいずれの性格も有する。広範な領域を網羅する。また「地理学と哲学は諸科学の母」と称される。
地理学の「地理」は、古代中国で記された『易経』の「周易」本文に対する孔子の注釈、「十翼」中の一篇「繋辭上傳」に由来する。ただし、易経における「地理」について、辻田右左男は「ただちに今日的意味で理解するのはやや早計」としており、海野一隆は後世における使用例から、客観的な地誌的記述と占い的な風水的記述をあわせ持った曖昧な概念であると指摘する。実際に、当時の「地理」の語義は「周易」に施された無数の注釈において様々に論じられており、漢字文化圏において geographyが「風土記」ではなく「地理学」と訳された要因もこうした注釈書に求められる。
辻田によれば、現代の「地理学」の語源である「地理」概念を分析するのであれば、その学史的な淵源に遡る必要があり、その淵源は少なくとも合理的な朱子学的教養を備えた江戸時代の儒学者に求められるという。これを受け、益田理広は、朱子学における「地理」の語義の把握に努めた。益田によると、『易経』の注釈において定義されなかった唐以前、「地理」は漠然と地形や植生を表す語に過ぎなかった。しかし唐代に入ると、「地理」は①地形や植生間の規則的な構造(孔穎達による)、②知覚可能な物質現象たる「気」の下降運動(李鼎祚による)とする二説により明確に定義される。続く宋代には「地理」の語義も複雑に洗練され、「地理」を①位置や現象の構造とする説、②認識上の区分に還元する説、③形而上の原理の現象への表出とする説、④有限の絶対空間とする説などが相次いで生まれた。また、唐代においては風水思想を扱うものも「地理書」の呼称を得ており、宋代には地誌に当たらない「地理書」の存在も一般化している。このように、唐以降の中国では「地理」概念を巡って多様な議論が展開された。
「地理」概念と同様に、「地理学」に対する解釈も多様である。地理学は時代によって、概念や扱う領域が大きく変わってきたことで、現在でも一定の定義を与えることは困難である。実際、地理学は「人類の生態学」、「分布の科学」、「土地と人間の関係学」であると主張する者もいる。オックスフォード地理学辞典によれば、地理学が辿った紆余曲折を統括できる定義を見出すのは無謀とするものの、ラルフ・リントンが唱えた「地理学は『景観の研究』である」という見解が地理学者の関心を最も統合できると述べている。他方で地理学辞典では、多くの地理学者は「地球表面を、その地域的差異という観点から研究するのが地理学」という思想に一致するという。また、最新地理学用語辞典では地理学を「地表の自然・人文にわたる諸現象を、環境・地域・空間などの概念に基づいて解明しようとする学問」とする。
このような地表の諸現象を究明しようとする系統地理学の方向性に対して、「自然・人文にわたる諸現象の相互関係を総合的に研究して、地域的性格を究明する地誌学が真の地理学である」と主張する者もいる。同様に、20世紀以降のフランス地理学派やバークレー学派も地理学を「地域の研究である」とみなし、常に人間と物理的環境との相互作用に重点を置いていた。この系統地理学と地誌学の定義を統合して、例えば広辞苑では地理学を「地球の表面と住民の状態ならびにその相互作用を研究する学問」としている。
地理学誕生の地は、古代ギリシアである。学問としては、博物学の部門に属した。その源流は、各地の様子を記載する地誌学的なものと、気候や海洋について研究する地球科学的なものとに見ることができる。中世では停滞していたものの、ルネサンス期における地誌の拡大や、18世紀以降、産業革命後の自然科学の発達と観測機器の発達は近代地理学の成立へと導いた。
現在見ることのできる科学的な地理学の源流は19世紀初頭のドイツでおこり、アレクサンダー・フォン・フンボルトとカール・リッターにより成立した。彼らは「近代地理学の父」とされており、なかでもフンボルトが自然地理学の始祖とされるのに対し、リッターは人文地理学の創始者とされている。彼らは地誌的な記述ばかりではなく、様々な地理的な現象に内的連関を認め、地理学においてその解明の重要性を説いた。
19世紀後半には、フリードリヒ・ラッツェルが自然地理の条件に人類は強く影響を受けると唱え、のちにこれは環境決定論と呼ばれるようになる。一方、ポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュは自然は人類の活動に可能性を与えているものと定義し、これは環境可能論と呼ばれるようになるなど、系統地理学が整備された。アルフレート・ヘットナーやリチャード・ハーツホーンは地域の解明を重視し、地誌学に大きな足跡を残した。またこの時期、日本など世界各国に地理学が移入された。
この時期までの地理学の中心は地誌学であったが、1950年以降、アメリカ合衆国が中心になってコンピュータや統計データなどを用いて、計量的な地理学が世界中に急速に普及した。この計量革命によって、それまでの地誌学は個性記述的・非科学的であるとして衰退していった。1970年代後半以降、北米を中心に地理学は一旦は衰退したが、地理情報システム(GIS)や地球環境に関連した応用的な研究が盛んになった。また1960年代から1970年代にかけて計量地理学への反動から、ラディカル地理学や人文主義地理学が成立した。
地理学は、大きく系統地理学と地誌学に分類され、系統地理学はさらに自然地理学と人文地理学に分けられ、それぞれがまた細かく分類される。ただし、自然地理学の諸分野は地球科学の影響を受け、その中でも時に生態学や気象学、地質学などと連携されることが多い。人文地理学は歴史学・社会学・経済学などの近隣分野の影響を受け、それらの知識ならびに隣接分野の理論の十分な理解が要求される学問である。また、自然地理学・人文地理学ともに現地調査(フィールドワーク)やエクスカーション(巡検とも呼ぶ)を実施し、実地調査に基づく観察を重視する傾向があるのが特徴である。
自然地理学に該当するもの。大気圏を扱う気候学、水圏を扱う水文学、地表圏を扱う地形学、生物圏を扱う生物地理学、土壌圏を扱う土壌地理学、そして雪氷圏を扱う雪氷地理学といった専門分野に分かれており、また第四紀学のように学際的な研究分野も多く存在する。いずれの場合も、学問上で厳格な線引きは存在せず、例えば気候地形学のような自然地理学の中でも分野のまたがった研究も往々にされている。ほとんどの場合、これらの学問成果をあげるには、現地調査(フィールドワーク)が要求される。
人文地理学に該当するもの。これらもほとんどの場合、学問成果をあげるには、現地調査(フィールドワーク)が要求される。いずれの場合も、学問上で完全に独立しているわけではなく、例えば都市地理学と経済地理学の複合分野を研究対象にするということも可能である。
他分野においても、生物学の生物地理学など地理学という名をもつ学問がある。
地誌学(地域地理学)は、ある特定された地域内における地理学的事象を自然地理・人文地理両方の見地から研究する学問である。自然地理・人文地理にかかわらず、実際に研究する際は、具体的な地域を選定しなくてはならないため、ひとつの専門分野というよりは地理学の共通基礎部分と認識されている。文学や国際関係学方面の地域研究(学)との共通点もある。
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地理学では地域差があるものを取り扱うため、地図が必須であるとともに、地図を用いて事象の分析や原因の考察を行うことができる。事物の分布を考察するにあたって、分布図の作成が挙げられる。分布図では、事物の位置や多寡、偏りの程度が表現されるため、分布について深く考察するうえで有効であり、このことによって地理的事象の地域性や一般性の解明につながる。分布の性質を分析してきた研究の代表例として、高橋伸夫は『地理学への招待』にてチューネンの孤立国とクリスタラーの中心地理論を提示している。
日本では主に文学部で地理学が教育・研究されている。東日本の国公立大学では理学部で教育・研究を行う大学もある。また、教育学部にも設置されている。
ただし、文学部設置の大学でも自然地理学の研究も行われているうえ、理学部設置の大学でも研究や教育が自然地理学に限定されているわけでもない。また、この他の学部でも地理学に関するコースが存在する大学もある。
地理学がカバーする範囲は極めて広く、大学において「地理学科」や「地学科」という名称でなくても改称したり分野別に再編したりして実質的に地理学教育を行っている学科・専攻は少なくない。
地理学の学際性から、大学院生や大学教員レベルになると複数の学会に所属している者が多い。近年は地理情報システム(GIS)を用いた解析や一部モデリングが盛んに行われているほか、社会的課題が複雑化する中において地域を多角的・総合的に理解する学問分野として注目されている。
日本における地理学系学会としては、1925年に日本地理学会が設立されたのを皮切りに、1948年に人文地理学会、1954年に経済地理学会が設立されるなど、多くの学会が存在する。これらの学会は、日本地理学会の「地理学評論」や人文地理学会の「人文地理」といった学術誌を定期的に発行している。
明治維新後、近代学制が整備される中で、地誌を中心とする地理学は国民意識を形成するために重視され、初等・中等教育の科目の1つとされた。これは第二次世界大戦後も変わらず、地理は小学校および中学校では社会科のうちの1つに位置づけられ、高等学校でも科目名に変遷はあれど1つの科目として地理は存在し続けている。
高等学校においては長らく「地理」は必修であったが、1970年告示の学習指導要領以降選択科目の1つとなり、さらに1989年告示の学習指導要領において「世界史」が必修になるとその影響で「地理」を選択する生徒が減少し、地理学へ興味・関心を持つ機会が減少していた。しかし、2018年告示の学習指導要領において、2022年4月より再び「地理」が必修化された。
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