収容避難場所(しゅうようひなんばしょ)とは、災害によって短期間の避難生活を余儀なくされた場合に一定期間の避難生活を行う施設のことを指す古い用語。現在の災害対策基本法では、指定緊急避難場所と呼ばれている。
避難場所となる施設は、地域防災計画により指定されている事が多く、この計画により、防災倉庫が設置されている。収容避難場所は、一定期間の生活に必要な物資をある程度そろえており、屋内施設が指定されているため降雨などの心配が無いように考えられている。
一定期間とはいえ大人数で生活するため、上手に運営を行わなければ、プライバシー、場所取り、資材分配、通常生活の地域コミュニティーで抱える問題の延長線上の問題、コミュニティーに参加していないと溶け込むのが難しい、などの心配が発生すると言われている。しかし、阪神・淡路大震災以降、社会福祉協議会や民生委員、災害ボランティアの経験を積んだ組織の活動などにより、このような心配は発生しにくくなっている。
また阪神・淡路大震災では、避難場所として指定されていない公共施設(警察署・市区役所・病院など)に避難してしまう被災者もいた。事実上、防災・救助活動等の障害となることもあったと言われているが、被災者であるため、指定避難場所への移動要請は難しかったと言われている。
一般に被害の規模が大きいほど、避難場所に集まってくる人々は多くなり、かつ長期にわたる。特に火山災害は、火山活動が長くなることが普通の状態であるので、生活は長期となる。
阪神・淡路大震災では、あらかじめ指定されていた避難場所だけでは収容できず、後から追加で指定された。神戸市の場合、最も多いときには約24万人(人口の約16%)が避難生活をした。避難場所での生活は、長い人で約7ヶ月間と言われる。
新潟県中越地震の場合、小千谷市で最も多いときでは約2.6万人(人口の約62%)、長い人で2ヶ月間生活したと言われる。東日本大震災では最大で46万人を超え、2ヶ月経過後も11万5000人が避難場所で生活していた。
地域防災計画では、避難場所の開設は自治体職員が行うことになっている事が多い。しかしながら、自治体そのものが被災する場合や、担当職員自身が地域住民でない場合もあり、被災直後に開設が困難であることも考えられる。阪神・淡路大震災では、被災者が自治体職員よりも早く集まってきた。よって事実上は地域住民が避難場所を開設することとなる。また避難場所の運営自体も避難者自身が行うことになると考えておいた方が良い。しかし、発災の時間帯によっては施設が施錠されていて施設管理者が来るまで入れない場合もあるので、事前に地域で自治体と調整が必要である。
避難場所開設にあたっては、地震の場合には、避難場所の施設そのものも倒壊するおそれがある。よって避難場所を開設(または避難者を収容)する前に、施設の安全性の判断(建物の危険度判定や土砂災害の被災流域)をしなければならない。
有事の速やかな避難場所開設を考慮し、震度6弱以上の地震を感知すると扉が自動的に開く「地震自動解錠ボックス(住民避難所開設ボックス)」を設置した自治体もある。
避難場所の開設にあたって直ちに必要とされている活動内容は以下の通りである。
避難期間が長期に及ぶ場合や避難者が多い場合などは被災者や自治体のほか赤十字や自衛隊、NPO団体、ボランティアなどがその特性を生かした支援を行なうことになる。
なにかの災害や被害から逃れるために作られた空間や施設、建築物。
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