千葉駅(ちばえき)は、千葉県千葉市中央区新千葉一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・千葉都市モノレールの駅である。
千葉駅 | |
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千葉駅東口駅前広場(2010年2月) JR駅舎はモノレールの背後にある。 | |
ちば Chiba | |
北(上)からJR、千葉都市モノレール、京成千葉駅 | |
所在地 | 千葉市中央区新千葉一丁目 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細) 千葉都市モノレール(駅詳細) |
乗換 | 京成千葉駅(京成千葉線) |
東日本旅客鉄道(JR東日本)と千葉都市モノレールが乗り入れており、中央区新千葉一丁目に位置している。尚、隣接する京成電鉄の京成千葉駅は中央区新町250番地3に位置している。
千葉県の県庁所在地及び政令指定都市である千葉市の中心駅である。横須賀・総武快速線(総武線快速)、中央・総武緩行線(中央総武線各駅停車) 成田線、総武本線、外房線、内房線、千葉都市モノレール1号線、千葉都市モノレール2号線が乗り入れており、東京都心方面からの緩急分離運転区間の終点及び千葉県内各地へ向かう各路線が集結するジャンクション及びターミナル駅である。千葉都市モノレールの駅は、京成電鉄の京成千葉駅と一体的な造りとなっており、当駅のモノレール連絡通路からモノレール口を通ることで京成千葉線へも乗り換えが可能である。
当駅には駅ビル(ペリエ千葉)、複合施設(ウェストリオ)、ホテル(サンルート千葉)、センシティ(センシティタワー、そごう千葉店、オーロラモールジュンヌ)、商業施設(C-One)が入居・接続している。主に当駅東側から千葉中央駅にかけての中心市街地(富士見地区から中央地区)には企業のオフィスビル、銀行や商業施設、家電量販店などが林立する繁華街となっており、柏駅や船橋駅周辺などとともに千葉県有数の市場規模を誇る巨大商圏となっている。
当駅は2011年(平成23年)以前から建て替え工事が進められてきており、2016年(平成28年)11月20日、53年ぶりに新しい「千葉駅」として開業した。改札など駅機能を3階に集約することで、ターミナル駅として利便性も向上している。
駅西口には2013年(平成25年)10月1日に千葉都市計画事業千葉駅西口地区第二種市街地再開発事業の中核施設として複合施設のウェストリオ(WESTRIO)が開業し、ホテル棟(WESTRIO1)と事務所棟(WESTRIO2・WESTRIO3)のビルが3棟並ぶ。2018年(平成30年)6月28日には千葉ステーションビル主体の駅ビル「ペリエ千葉(Perie)」が開業し、構内にはエキナカ(地上3、4階の2フロア)、改札外にはペリエ千葉の本館、ペリチカ、ストリート1、ストリート2と約8万3000平方メートル(地下1階 - 地上7階)の大規模な駅ビルが隣接している。
駅周辺は都市の国際競争力強化の観点から特に重要な地域として都市再生緊急整備地域に指定されており、千葉駅東口地区第一種市街地再開発事業、千葉駅西口地区第二種市街地再開発事業(B工区) 等、更なる都市再開発事業が続いている。
事務管コードは▲431218を使用している。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は総武本線と外房線の2路線であり、このうち総武本線を当駅の所属線とし、外房線は当駅を起点としている。一方、当駅に乗り入れる運転系統は多岐にわたる。
総武本線は当駅から東京方面は錦糸町駅までが複々線となっており、快速線を走行する総武快速線と緩行線を走行する中央・総武線各駅停車がそれぞれ運転されている。総武快速線は一部列車が当駅より先(後述の各線)へ直通しているが、中央・総武線各駅停車は当駅を運転系統の起終点としている。なお、津田沼・当駅間が複線だった頃は、当駅より先に直通する各駅停車も運転されていた。現在では配線上、内房線や外房線、総武本線(銚子方面)や成田線へ直通することが不可能となり、折り返し運転のみが可能となっている。
東京都心方面へ向かう総武本線は、快速線を走る総武快速線と、緩行線を走る中央・総武線各駅停車の2系統が発着する。このうち、横須賀線・総武快速線は総武本線、成田線、鹿島線、外房線、内房線へ相互直通運転を実施している。
千葉県内各地へ向かう各路線は次の4系統が発着する。すべて横須賀線・総武快速線への相互直通運転を実施している。
千葉都市モノレールの駅は1号線と、当駅を起点とする2号線の乗換駅となっている。両線共通で「CM 03」の駅番号が設定されている。モノレール同士の乗換駅は日本国内では当駅と大阪モノレールの万博記念公園駅のみである。
当駅は京成電鉄「京成千葉駅」と相互乗換駅になっており、接続路線は京成千葉線である。当駅中央改札から出場して南口からそごう千葉店方面に向かうか、モノレール連絡口を通り京成千葉駅のモノレール口から入場することで乗り換えが可能である。
1963年(昭和38年)に移転するまでは、800 mほど成田方面寄りの千葉市民会館周辺(北緯35度36分56秒 東経140度7分12秒 / 北緯35.61556度 東経140.12000度)にあり、佐倉・銚子方面から船橋・東京方面と蘇我駅・安房鴨川駅方面の二またに分かれていた。そのため船橋・東京方面と蘇我・安房鴨川方面を結ぶ直通列車は、当駅でスイッチバックする形となっていた。
現在地に移転後は、船橋・東京方面から蘇我・安房鴨川方面と佐倉・銚子方面の二またに分かれる線形に改良された。駅全体がV字状になっているのはそのためである。千葉近隣の駅では大網駅も同様の変遷をたどっている。駅前広場も当時は非常に狭く、バス路線の大半は駅より離れた「要町」での発着となっていた。栄町は当時の千葉駅前から千葉県庁へのメインストリートに当たり、繁華街であった。千葉市民会館の近くに、旧駅の石碑が残っている。また、移転後の1965年(昭和40年)には旧駅よりもやや成田寄りに東千葉駅が新設されている。
JR東日本千葉支社は、2008年9月18日に、千葉駅とペリエ1となっている千葉駅ビルの建て替えを発表した(後述)。2010年7月時点で、駅構内のほとんどの店舗が閉店され本格的に工事が始まり、通路に天窓が建設され、7・8番線の一部階段が閉鎖されて使用できなくなっていた。また、西口改札外の歩道橋が早期に建て替えられていた。
現在地に移転する1963年以前の駅構造は、頭端式ホーム2面3線と島式ホーム1面2線の計3面5線(加えて複数の留置線を有していた)で、0番線は房総東線(現:外房線)、1番線は房総西線(現:内房線)、2番線は成田線、3番線は中央・総武線(各駅停車)、4番線は総武本線が使用していた。
JR 千葉駅 | |
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東口(2019年12月) | |
ちば Chiba | |
所在地 | 千葉市中央区新千葉一丁目1-1 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | チハ |
駅構造 | 橋上駅・高架駅 |
ホーム | 5面10線 |
乗車人員 -統計年度- | 94,864人/日(降車客含まず) -2022年- |
開業年月日 | 1894年(明治27年)7月20日 |
乗入路線 6 路線 | |
所属路線 | ■総武本線(稲毛方■快速線) (■成田線直通含む) |
駅番号 | JO28 |
キロ程 | 39.2 km(東京起点) |
◄JO 27 稲毛 (3.3 km) (0.9 km) 東千葉 JO 29► | |
所属路線 | ■総武線(各駅停車) (線路名称上は総武本線) |
駅番号 | JB39 |
キロ程 | 39.2 km(東京起点) |
◄JB 38 西千葉 (1.4 km) | |
所属路線 | ■外房線 (■内房線直通含む) |
キロ程 | 0.0 km(千葉起点) |
(1.4 km) 本千葉► | |
備考 | 直営駅(管理駅) みどりの窓口 有 |
駅長・副長配置の直営駅で、当駅と西千葉駅、本千葉駅、東千葉駅を管理している。また、当駅、稲毛駅、四街道駅で千葉統括センターを構成しており、当駅駅長はその所長も兼任する。島式ホーム5面10線を有する。1 - 6番線と7 - 10番線は、東側で駅ビル(駅本屋を兼ね、「ペリエ千葉」が入っている)を挟む形で分かれている。そのため、東側では5・6番線ホームと7・8番線ホームの距離が離れている。台地の斜面に位置しているため、西千葉駅・稲毛駅方向では橋上であるが、本千葉駅・東千葉駅方向は高架となっている。階数は東口側にある駅ビルが基準となっているため、各ホームは2階として扱われている。駅がこのような型になった理由については「歴史」を参照。
改札口は1 - 6番線と7 - 10番線の二又の間にある3階の中央改札口(東口・南口・千葉公園口・モノレール連絡口に接続)、西千葉駅方向の高架橋にある同じく3階の西改札口(西口・北口に接続)、更にペリエ千葉エキナカ4階にあるペリエ改札(ペリエ千葉4階に接続)の3ヶ所ある。西改札口は2018年3月3日より、始発から午前6時50分までの間は遠隔対応(インターホン対応は稲毛駅が行う)となり、改札係員は不在。一部の自動券売機のみ稼働している。ペリエ改札は午前10時から午後9時の間ICカード利用客のみ利用できる改札口で、終日無人となっており、Suicaチャージ機が設置されている。 コンコースは3階にあり、中央改札口に繋がる東側通路、西改札口に繋がる西側通路、その間にある中央通路で構成されている。東側通路には各ホーム行きのエスカレーターとエレベーターが、西側通路には7・8番線ホーム行きのエレベーターが設置されている。このうち中央通路と5 - 8番線ホームを結ぶエレベーターはペリエ千葉エキナカの4階へもつながっている。ペリエ千葉エキナカの4階へは、このエレベーターの他にエスカレーター3基と階段が設置されている。トイレは東側通路1・2番線側、中央通路9・10番線側、連絡通路の3箇所に、車椅子に対応した多機能トイレはこのうち東側通路1・2番線側と中央通路9・10番線側の2箇所にある。鉄道警察隊は東側通路9・10番線側にある。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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1・2 | 総武線(各駅停車) | 西行 | 西船橋・秋葉原・新宿方面 | 新宿方面行は御茶ノ水駅から 中央線へ直通 |
3・4 | ■ 内房線 | 下り | 木更津・館山方面 □ 特急「新宿さざなみ」(館山方面) | |
5・6 | ■ 外房線 | 茂原・安房鴨川・東金方面 □ 特急「新宿わかしお」(安房鴨川方面) | 東金方面行は大網駅から ■ 東金線へ直通 | |
7・8 | ■ 総武本線 | 下り | 佐倉・八日市場・銚子方面 □ 特急「しおさい」(銚子方面) | 一部は9・10番線発着 |
9・10 | ■ 成田線 | 成田・佐原・鹿島神宮方面 □ 特急「成田エクスプレス」(成田空港方面) | 鹿島神宮方面行は佐原駅から ■ 鹿島線へ直通 | |
3 - 6 | 総武線(快速) | 上り | 東京方面 □ 特急「新宿さざなみ」「新宿わかしお」(新宿方面) | 横浜・大船方面行は東京駅から 横須賀線へ直通 ■ 内房線・ ■ 外房線からの列車 |
7 - 10 | 東京方面 □ 特急「しおさい」「成田エクスプレス」(東京方面) □ 特急「あずさ」「富士回遊」(大月方面) | 横浜・大船方面行は東京駅から 横須賀線へ直通 ■ 総武本線・ ■ 成田線からの列車 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
線路の配線状況により、1 - 6番線の線路と7 - 10番線の線路は東側では一切交差していない。そのため、直通先が多岐にわたっている総武快速線の東京方面行は終日3 - 10番線からランダムに発車している。
平日朝ラッシュ時において、東京方面の当駅始発列車を対象に一旦ドアを閉める整列乗車を行っている。下り列車は全て対象外である。
当駅では、発車ベル(当時主流のピロピロピロという電子音)が近隣から騒音であるとの苦情に応えて、JR東日本の主要駅としては初めて1988年(昭和63年)5月から同年8月7日まで30分間発車ベルを鳴らさないで運行を行う試験を行い、特に問題も生じなかったことから、そのまま試行期間の終了後に発車ベルを全面廃止した。
この試みは「静けさで心が和らぐ改善」などの肯定的な評価をされ、業界誌でも取り上げられるなど注目を集めた。同年10月には早くも市川駅や稲毛駅といった同じ千葉県内の駅のみならず、東京都内の新小岩駅など県外の駅にも広がることになり、後にJR駅の発車ベルが電子音からメロディに変わるきっかけともなった。その後これらの駅では発車メロディが相次いで導入されたが、当駅では現在も発車メロディを含めて鳴らしていない。
なお、中央・総武線各駅停車の全区間(三鷹駅 - 御茶ノ水駅 - 当駅間)と横須賀・総武快速線の一部区間(久里浜駅 - 東京駅 - 幕張駅間)は、ATOSが導入されており、1・2番線の西千葉寄りに出発時機表示機が設置されている。これに加え、2019年に3 - 10番線の西千葉寄りにも出発時機表示機が設置され、さらに2020年2月16日始発から全番線において自動放送が導入された。
2021年現在、ATOS型自動放送を導入しているなかで、発車メロディ等が使われていない唯一の駅である。また、3 - 10番線については、自動放送に戸閉放送がなく、駅員のマイクによる肉声放送の後、出発指示合図または乗降終了合図でドアが閉まる。
運転番線 | 営業番線 | ホーム | 佐倉方面着発 | 蘇我方面着発 | 快速線東京方面着発 | 緩行線御茶ノ水方面着発 | 備考 |
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1 | 1 | 10両分 | 不可 | 不可 | 不可 | 到着・出発可 | 緩行線上り主本線 |
2 | 2 | 緩行線下り主本線 | |||||
3 | 3 | 15両分 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | 不可 | 外房線上り主本線 | |
4 | 4 | ||||||
5 | 5 | ||||||
6 | 6 | 外房線下り主本線 | |||||
7 | 7 | 到着・出発可 | 不可 | 総武本線上り主本線 | |||
8 | 8 | ||||||
9 | 9 | ||||||
10 | 10 | 総武本線下り主本線 | |||||
東1 | ホームなし | 不可 | 着発は10番線を経由 | ||||
東2 | 着発は10番線を経由 |
以下の表は当駅ホームの変遷を記したものである。
時期 | 第0ホーム | 第1ホーム | 第2ホーム |
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終戦直後 - | 未設置 | 1番線 ■房総西線 ■房総東線 2番線 ■中央・総武線 | 3番線 ■中央・総武線 4番線 ■総武本線 ■成田線 |
1949年 8月31日 - | 5番線 ■房総東線 | 1番線 ■房総西線 2番線 ■成田線 | 3番線 ■中央・総武線 4番線 ■総武本線 |
時期不詳 - | 0番線 ■房総東線 |
時期 | 南側回送線 | 第1ホーム | 第2ホーム | 第3ホーム | 第4ホーム | 北側回送線 | 第5ホーム |
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1963年 4月28日 - | 0番線 ■回送線 | 1・2番線 ■中央・総武線 | 3・4番線 ■房総西線 ■中央・総武線 | 5・6番線 ■房総東線 ■中央・総武線 | 7・8番線 ■総武本線 ■成田線 ■中央・総武線 | 9番線 ■回送線 | 未設置 |
1972年 7月15日 - | 3・4番線 ■内房線 ■総武線 | 5・6番線 ■外房線 ■総武線 | 7・8番線 ■総武本線 ■成田線 ■総武線 | ||||
1980年 10月1日 - | 3・4番線 ■内房線 ■横須賀・総武線 | 5・6番線 ■外房線 ■横須賀・総武線 | 7・8番線 ■総武本線 ■成田線 ■横須賀・総武線 | ||||
1983年 4月4日 - | 7・8番線 使用停止 | 廃止 | 9・10番線 ■総武本線 ■成田線 ■横須賀・総武線 | ||||
1984年 2月1日 - | 7・8番線 ■総武本線 ■横須賀・総武線 | 9・10番線 ■成田線 ■横須賀・総武線 | |||||
2016年頃 - | 廃止 |
千葉都市モノレール 千葉駅 | |
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千葉都市モノレール千葉駅正面口(2020年4月) | |
ちば Chiba | |
所在地 | 千葉市中央区新千葉一丁目1-1 |
駅番号 | CM03 |
所属事業者 | 千葉都市モノレール |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗車人員 -統計年度- | 9,929人/日(降車客含まず) -2020年- |
開業年月日 | 1991年(平成3年)6月12日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■1号線 |
キロ程 | 1.5 km(千葉みなと起点) |
◄CM02 市役所前 (0.8 km) (0.5 km) 栄町 CM16► | |
所属路線 | ■2号線 |
キロ程 | 0.0 km(千葉起点) |
◄*(市役所前) (- km) (1.1 km) 千葉公園 CM04► | |
* 大半の列車が1号線千葉みなと駅まで乗り入れ |
JR線のさらに上層に軌道がある高架駅で、千葉都市モノレールで唯一の2面4線を有する。ホームは4階にある。正面口が地上にあり、JR千葉駅東口と向かい合っている。モノレール駅の2階(JR駅の改札階(=3階)と同じ階層)にJR中央改札方面との連絡通路がある。また、3階(モノレール改札階)には中央改札口、南改札口、南口、駅事務室、車椅子対応トイレがあるほか、南口側に京成千葉駅モノレール改札口(深夜・早朝は閉鎖)や、そごう千葉店(4階)・センシティタワー(4階)方面との連絡通路がある。
改札内に3階のコンコースと4階の各ホームを結ぶエレベーター並びにエスカレーター(上り及び下り)がある(車椅子対応[要出典])。
改札外でエレベーターが1階(=地上階)、2階(JR連絡通路があり、JR駅の改札階(=3階)と同じ階層)及び3階(モノレール改札階)の間で稼働している(車椅子対応、写真参照)。改札外のエスカレーターには2つの系統がある。一方は2階のJR連絡通路と3階のモノレール改札コンコースを結ぶもの(上り及び下り)である(写真参照)。他方は1階(=地上階)の正面口、2階の中間コンコース、及び3階の改札コンコースを結ぶもの(上り及び下り)であり、正面口から行く場合には、中間コンコースで右折して乗り継ぐ。なお、JR連絡通路がある2階と、中間コンコースがある2階は分かれていて、互いにつながっていない。
番線 | 路線 | 行先 |
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1 | 1号線 | 県庁前方面 |
2 | 2号線 | スポーツセンター・都賀・千城台方面 |
3 | 千葉みなと方面 | |
4 | 1号線 |
千葉駅は、1995年8月に営業路線が千葉みなと駅まで延伸する以前には、千葉公園駅方向に約100 mよりの仮駅であったが、延伸時に現在の駅舎へ移行した。仮駅時代は、現在の駅舎の手前まで線路が延びていたため、それを利用して引き上げ線として使用、同時にホームも乗車専用と降車専用に分けていた。
また、「駅前の道路構造物は目障りで著しく景観を損ねる」として、JR東日本から250億円の迷惑料を請求され支払う事態になった逸話がある。前述の仮駅舎(23億円)や開業の遅れも重なってしまい、千葉都市モノレールは千葉駅関連の工事だけで300億円もの予定外費用を支出することになった。
ペリエ千葉、センシティ、そごう千葉店、オーロラモールジュンヌ、センシティタワー、ウェストリオ、シーワン、ミーオがある。京成千葉駅と千葉中央駅はこれらの施設を通して隣接している。
ペリエ千葉エキナカ
約8,000 m2、3階と4階の2フロアに跨り、3階は約48店舗、4階は約13店舗の専門店を有する。
本館、ペリチカ、ストリート1、ストリート2合わせて約7万5000 m2(地下1階 - 地上7階)の大規模な駅ビルが隣接している。
高架下ショッピングモール。外房線、内房線、京成千葉線の高架下に位置する。ペリエ千葉ストリート1から続いて、ミーオ1(Mio1)まで高架下でつながっている。千葉中央駅の抜け道にも利用可能である。
シーワンから高架下で続く、京成電鉄千葉中央駅西口側のショッピングセンター。外房線、内房線、京成千葉線の高架下に位置する。ミーオ1は1番街から6番街まである。
ミーオ1から千葉県庁方面(千葉中央駅東口)にあるショッピングセンター。2階は京成ホテルミラマーレと接続している。
千葉新町地区の再開発事業における施設建築物名称。
千葉新町第二地区の再開発事業における施設建築物名称。
千葉都市計画事業千葉駅西口地区第二種市街地再開発事業の中核施設としてホテル棟と事務所棟のビル3棟が並ぶ。
当駅は駅弁専門店として改札内にリエイ「万葉軒 マンヨーケン」(旧:日本レストランエンタプライズ「駅弁屋 踊」)がある。主な駅弁は下記の通り。
年度全体の乗車人員を365(閏日が入る年度は366)で除して1日平均乗車人員を求めている。
年度 | 国鉄 | 出典 |
---|---|---|
1897年(明治30年) | 1,005 | |
1898年(明治31年) | 754 | |
1900年(明治33年) | 636 | |
1901年(明治34年) | 657 | |
1905年(明治38年) | 707 | |
1906年(明治39年) | 729 | |
1907年(明治40年) | 582 | |
1908年(明治41年) | 986 | |
1909年(明治42年) | 1,032 | |
1910年(明治43年) | 1,073 | |
1911年(明治44年) | 1,316 | |
1912年(大正元年) | 1,135 | |
1913年(大正 | 2年)1,212 | |
1914年(大正 | 3年)1,175 | |
1915年(大正 | 4年)1,163 | |
1916年(大正 | 5年)1,225 | |
1917年(大正 | 6年)1,434 | |
1918年(大正 | 7年)1,624 | |
1919年(大正 | 8年)2,065 | |
1920年(大正 | 9年)2,251 | |
1921年(大正10年) | 2,182 | |
1922年(大正11年) | 2,097 | |
1923年(大正12年) | 2,585 | |
1924年(大正13年) | 2,738 | |
1925年(大正14年) | 2,836 | |
1926年(昭和元年) | 2,850 | |
1927年(昭和 | 2年)2,749 | |
1928年(昭和 | 3年)2,761 | |
1929年(昭和 | 4年)2,916 | |
1930年(昭和 | 5年)2,788 | |
1931年(昭和 | 6年)2,718 | |
1932年(昭和 | 7年)2,709 | |
1933年(昭和 | 8年)3,038 | |
1934年(昭和 | 9年)3,063 | |
1935年(昭和10年) | 3,816 | |
1936年(昭和11年) | 4,152 | |
1937年(昭和12年) | 4,696 | |
1938年(昭和13年) | 5,507 |
年度 | 国鉄 / JR東日本 | 千葉都市 モノレール | 出典 |
---|---|---|---|
1947年(昭和22年) | 23,324 | 未 開 業 | |
1948年(昭和23年) | 24,091 | ||
1949年(昭和24年) | 19,828 | ||
1950年(昭和25年) | 21,050 | ||
1951年(昭和26年) | 23,380 | ||
1952年(昭和27年) | 24,317 | ||
1953年(昭和28年) | 25,634 | ||
1954年(昭和29年) | 27,646 | ||
1955年(昭和30年) | 29,053 | ||
1956年(昭和31年) | 31,607 | ||
1957年(昭和32年) | 33,214 | ||
1958年(昭和33年) | 34,649 | ||
1959年(昭和34年) | 37,213 | ||
1960年(昭和35年) | 40,395 | ||
1961年(昭和36年) | 43,552 | ||
1962年(昭和37年) | 47,425 | ||
1963年(昭和38年) | 54,051 | ||
1964年(昭和39年) | 60,927 | ||
1965年(昭和40年) | 64,606 | ||
1966年(昭和41年) | 68,986 | ||
1967年(昭和42年) | 72,740 | ||
1968年(昭和43年) | 77,193 | ||
1969年(昭和44年) | 72,668 | ||
1970年(昭和45年) | 73,000 | ||
1971年(昭和46年) | 75,096 | ||
1972年(昭和47年) | 80,368 | ||
1973年(昭和48年) | 85,365 | ||
1974年(昭和49年) | 89,833 | ||
1975年(昭和50年) | 90,086 | ||
1976年(昭和51年) | 92,993 | ||
1977年(昭和52年) | 91,745 | ||
1978年(昭和53年) | 91,014 | ||
1979年(昭和54年) | 90,684 | ||
1980年(昭和55年) | 90,590 | ||
1981年(昭和56年) | 89,871 | ||
1982年(昭和57年) | 87,884 | ||
1983年(昭和58年) | 87,798 | ||
1984年(昭和59年) | 88,438 | ||
1985年(昭和60年) | 90,219 | ||
1986年(昭和61年) | 87,537 | ||
1987年(昭和62年) | 89,285 | ||
1988年(昭和63年) | 92,924 | ||
1989年(平成元年) | 93,883 | ||
1990年(平成 | 2年)96,537 | ||
1991年(平成 | 3年)99,799 | 5,751 | |
1992年(平成 | 4年)102,214 | 7,981 | |
1993年(平成 | 5年)108,462 | 8,809 | |
1994年(平成 | 6年)108,112 | 8,934 | |
1995年(平成 | 7年)108,388 | 10,736 | |
1996年(平成 | 8年)108,385 | 11,425 | |
1997年(平成 | 9年)106,001 | 10,835 | |
1998年(平成10年) | 106,529 | 10,686 | |
1999年(平成11年) | 105,246 | 10,675 | |
2000年(平成12年) | 103,723 | 10,573 |
近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。
年度 | JR東日本 | 千葉都市 モノレール | 出典 |
---|---|---|---|
2001年(平成13年) | 103,590 | 10,528 | |
2002年(平成14年) | 104,275 | 10,508 | |
2003年(平成15年) | 104,748 | 10,302 | |
2004年(平成16年) | 103,618 | 10,115 | |
2005年(平成17年) | 103,401 | 10,344 | |
2006年(平成18年) | 105,746 | 10,767 | |
2007年(平成19年) | 106,901 | 10,913 | |
2008年(平成20年) | 107,122 | 10,851 | |
2009年(平成21年) | 106,434 | 10,978 | |
2010年(平成22年) | 105,777 | 11,008 | |
2011年(平成23年) | 104,788 | 10,369 | |
2012年(平成24年) | 104,646 | 11,436 | |
2013年(平成25年) | 105,812 | 11,286 | |
2014年(平成26年) | 103,592 | 11,262 | |
2015年(平成27年) | 104,503 | 11,406 | |
2016年(平成28年) | 105,205 | 11,849 | |
2017年(平成29年) | 105,807 | 12,569 | |
2018年(平成30年) | 108,121 | 13,034 | |
2019年(令和元年) | 107,829 | 13,183 | |
2020年(令和 | 2年)81,445 | 9,929 | |
2021年(令和 | 3年)86,911 | ||
2022年(令和 | 4年)94,864 |
当駅は千葉市中心部の北西端に位置し、東口・モノレール中央口より南東方の中央公園などの「中央」方面に向かう広い通り「千葉駅前大通り」が伸びる。これは、1963年(昭和38年)の千葉駅の現在地への移転に合わせ、周辺区画と共に整備されたもので、デパートやオフィスビルなどが多い。一方通行路や右折禁止の交差点が多く、客待ちをするタクシーの台数もかなり多い。駅前広場は東口・モノレール中央口・北口・西口にあり、各々バス・タクシー乗り場がある。特に東口・モノレール中央口前のバスターミナルは規模が大きく、路線バス用、一般車とタクシー用とレーンが分かれており、県都中心駅の性格を表している。
東口・モノレール中央口駅前にはデパートやショッピングセンターなどのビルが林立している。2018年(平成30年)からは、ペリエ千葉、そごう千葉店、シーワンを中心として「えきまつり」が開催されるようになった。 北口と西口は位置・構造の関係上、東口と比べ人出が少ない。北口は1990年代まで閑静な住宅街であったが現在は駅前広場が整備され、広い道幅の道路が開通しているほか、高等学校や大手予備校もあり学生は比較的多い。また、西口にも駅前広場が整備され、千葉駅西口地区第二種市街地再開発事業(B工区)により、病院や商業施設の建設が予定されている。
東方向の先は関東屈指の歓楽街(栄町)、南東方向は中心部の繁華街(富士見・中央)、南方向(新町・新田町・新宿)はビルなどが混在する地域となっている。2010年代以降はパルコや三越といった大型商業施設が撤退し、中心市街地の空洞化が見られる。2020年代前半は駅前の大規模再開発が進んでおり、国税庁が2022年7月に発表した同年1月時点の路線価では本地域の上昇率が全国トップとなった。西方向(新千葉)と北方向(弁天)は駅から離れると閑静な住宅街が広がる。駅周辺は路上喫煙禁止地区になっている。
県庁・千葉県警察本部や千葉地方裁判所・千葉地方検察庁など国や県の機関とその関連施設は、歴史的に千葉市の中心部である千葉中央駅から本千葉駅にかけての一帯の東側、「長洲」や「市場町」にある。当駅からは徒歩で約20分かかるため、葭川公園駅(→千葉地検、千葉地裁)、県庁前駅(→県庁舎、県警本部)、本千葉駅(→県警本部、県庁舎)からの徒歩か、バスターミナルから千葉中央バスや小湊鉄道バスなどの路線バスを利用するほうが便利である。
当駅を中心とする以下、概ね半径1キロメートル(km)程度範囲内周辺の一般国道・都道府県道。
当駅を中心とする以下の各駅は概ね半径1キロメートル(km)程度範囲内にあるので、状況によっては徒歩での移動の方が早く到達する場合もある。
栄町駅、葭川公園駅、千葉中央駅付近は栄町駅周辺、葭川公園駅周辺、千葉中央駅周辺も参照。
東口・モノレール中央口駅前
富士見二丁目 - 千葉駅前大通り南西側 飲食店、ファストフード店、居酒屋などは駅前通りよりも南側の外房線・京成線沿いに多い。
中央
新町 - 京成千葉駅周辺
新田町
新千葉駅付近は新千葉駅も参照。
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