下田市(しもだし)は、伊豆半島南部に位置する静岡県の都市。明治以前は旧伊豆国賀茂郡。
しもだし 下田市 | |||||
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下田港と下田市街地 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 静岡県 | ||||
市町村コード | 22219-4 | ||||
法人番号 | 8000020222194 | ||||
面積 | 104.38km2 | ||||
総人口 | 18,755人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 180人/km2 | ||||
隣接自治体 | 賀茂郡南伊豆町、河津町、松崎町 (以下、海上を隔てて隣接) 東京都:大島町 | ||||
市の木 | オオシマザクラ | ||||
市の花 | アジサイ | ||||
下田市役所 | |||||
市長 | 松木正一郎 | ||||
所在地 | 〒415-8501 静岡県下田市東本郷一丁目5番18号 北緯34度40分46秒 東経138度56分43秒 / 北緯34.67953度 東経138.94531度 東経138度56分43秒 / 北緯34.67953度 東経138.94531度 | ||||
外部リンク | www | ||||
ウィキプロジェクト |
江戸時代には、江戸・大坂間、あるいは東・西廻海運の風待ち湊として栄え、「伊豆の下田に長居はおよし、縞の財布が空になる」(下田ぶし1番)と唄われた。東海道の三島宿から伊豆半島中央部を南北に縦断する下田街道の終点。僧行基発見とされる蓮台寺温泉などがあり、総称して下田温泉と称している。
1854年(嘉永7年)、日米和親条約が締結されると、箱館とともに開港(下田は即時開港)。吉田松陰の米渡航失敗、ロシア使節エフィム・プチャーチン提督乗船のディアナ号遭難、米国領事タウンゼント・ハリスと唐人お吉、商業写真の祖下岡蓮杖など、数々のエピソードを生んだ。
1928年(昭和3年)、十一谷義三郎『唐人お吉』や川端康成『伊豆の踊子』の小説発表などが下田観光の火付け役となり、1933年(昭和8年)の東京湾汽船(現・東海汽船)の客船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東 - 下田線の完成により、観光客が多数訪れるようになった。さらに、1961年(昭和36年)12月の伊豆急行線(伊東駅 - 伊豆急下田駅間)開業により、観光客が急増。観光業が産業の中心となり、1967年(昭和42年)には、観光客が500万人を超えた。
その後も、地震や水害などの起きた時期を除いて、毎年、多くの観光客を迎え入れていたが、バブル経済崩壊後は減少に転じ、平成16年度は、観光客が約332万人と低迷。また、下田船渠解散、企業の営業所・寮の統廃合や流通業の変化による消費の分散傾向が、下田を初めとする賀茂郡の中心であった市内経済に打撃を与え、海水浴やイベント中心型観光都市からの脱皮を模索している。
2011年(平成23年)、東日本大震災に伴う計画停電、鉄道の運休、観光自粛ムードにより、観光客が激減。ホテル、旅館、その他観光関連産業の事業所を中心として、従業員、パート・アルバイトの大量解雇が発生。ハローワーク下田は、空前の人数の求職者、雇用保険手続きの失業者であふれた。観光産業に過度に偏った下田市の弱点があらためて露呈した。
稲生沢川下流の沖積地に中心市街が広がる。市の面積の83%は山林・原野。天城山系から続く急峻な山々と多くの砂浜や入り江を含んだ約47kmに及ぶ海岸線は、美しい景観をみせる。 また、年平均気温は約17℃と温暖で、降水量も年間1900mm余りと多い。 このような気候と急峻な地形条件により、亜熱帯系から亜寒帯系までの幅広い植生を有している。 このため、四季を通して様々な草花や果実が生育し、黒潮の流れる太平洋が育む豊富な海産物とあわせて、魅力のひとつとなっている。下田港9km沖合いの神子元島は、静岡県最南端。 蓮台寺、河内、横川、北湯ヶ野などに古くから温泉がある。
海域は大小の湾が入り組んでいる。 南海トラフ巨大地震が発生した際には、最大15mの津波が到達することが予想されている。これは静岡県下の市町村で最も高い値(南伊豆町と同値)である。
下田市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 下田市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 下田市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
下田市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
静岡県内の市でもっとも人口が少ない。1971年の市制施行時点で3万900人余り、多いときは1976年に3万2100人強に達したが、以降は減少傾向に転じ、1992年には3万人を割り、2023年4月1日時点で2万人を割り、現在も人口減少に歯止めがかからない状況が続いている。その間、2017年4月1日には過疎地域に指定された。
松木正一郎(2020年7月5日就任、1期目)
下田町長 - 旧六カ町村合併後の下田町の首長。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 鈴木貞雄 | 1955年(昭和30年)4月13日 | 1962年(昭和37年)2月26日 | 旧六カ町村合併前の旧・下田町における最後の町長。2期目の途中で辞任。 |
2 | 外岡文雄 | 1962年(昭和37年)4月10日 | 1964年(昭和39年)6月1日 | 旧六カ町村合併前の旧・朝日村における最後の村長。1962年(昭和37年)4月6日に無投票にて初当選するも、1期目の途中で辞任。 |
3 | 石井基 | 1964年(昭和39年)7月5日 | 1970年(昭和45年)12月31日 | 2期目の任期満了日(1972年〈昭和47年〉7月4日)を待たず、市制施行の前日付けで退任したのち、翌1971年(昭和46年)1月1日の市制施行と同時に市長に就任する。 |
下田市長 - 市制施行後の首長。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 石井基 | 1971年(昭和46年)1月1日 | 1976年(昭和51年)7月4日 | 町長時代と合わせて連続3期を務めたのち、任期満了で退任する。 |
2 | 青木義男 | 1976年(昭和51年)7月5日 | 1984年(昭和59年)7月4日 | 下田市消防団長、下田市議会議員を経て、1976年(昭和51年)6月27日初当選。2期を務める。 |
3 | 池谷淳 | 1984年(昭和59年)7月5日 | 2000年(平成12年)7月4日 | 下田市議会議員を経て、1984年(昭和59年)7月1日初当選。歴代の市長としてはもっとも長い4期を務める。 |
4 | 石井直樹 | 2000年(平成12年)7月5日 | 2012年(平成24年)7月4日 | 2000年(平成12年)6月25日初当選。3期を務める。地元出身。2期目・3期目は無投票当選。 |
5 | 楠山俊介 | 2012年(平成24年)7月5日 | 2016年(平成28年)7月4日 | 歯科医の傍らNPO法人で町おこしに尽力。2012年(平成24年)6月24日無投票当選。1期を務める。地元出身。無所属。その後、2023年(令和5年)4月23日執行の下田市議会議員選挙に立候補し、当選。 |
6 | 福井祐輔 | 2016年(平成28年)7月5日 | 2020年(令和2年)7月4日 | 元防衛大学校教授。2016年(平成28年)6月12日当選。先々代の市長・石井直樹が初当選した2000年(平成12年)6月25日以来16年ぶりの選挙戦となり、対抗馬として立候補した当時の現職・楠山俊介を破った。1期を務める。現・土佐清水市域の出身。無所属。 |
7 | 松木正一郎 | 2020年(令和2年)7月5日 |
1983年(昭和58年)、富山県砺波市の呼びかけで花をテーマとしたまちづくりを進める自治体が結集し「フラワー都市交流連絡協議会」が発足。2024年(令和6年)現在、下田市を含む下記の9都市が加盟。各都市間の交流を通じて、観光など各種産業や経済の振興、教育文化の振興など魅力ある地域づくりを図ることを目的とし、諸活動に取り組んでいる。これまでに、交流訪問事業や各都市間の花苗等の交換、交流物産展、東日本大震災被災地へのシンボル花の提供などを行っており、2018年(平成30年)6月17・18日には下田市を会場にフラワー都市交流連絡協議会総会が開催された。
海水浴、温泉と自然、海産物が魅力となっている観光業関連がほとんどで、金目鯛に代表される水産業も盛ん。農業は、柑橘類以外は自家用野菜が多い。工業は、下田船渠解散後、零細な食品製造業が大半である。商業は、大規模小売店舗法廃止に代表される各種の規制緩和、道路網の改善や通信販売の発達により、地盤沈下が著しい。
市内の中島橋交差点は、国道135号( - 終点・小田原市)、国道136号( - 終点・三島市)、国道414号( - 終点・沼津市)が集まる3国道の起点となっている。
白浜(大浜)、多々戸浜、入田浜、吉佐美大浜が主要なサーフポイントになっている。
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