ヘンリエッタ・ラックス

ヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks)の名で知られるヘンリエッタ・リーン・ラックス(Henrietta Leanne Lacks、1920年8月1日 - 1951年10月4日)は、アフリカ系アメリカ人女性で、彼女から無断採取された子宮頸がん細胞が没後も細胞株として世界各地で様々な医学的研究に使われ、のちにHeLa細胞と呼ばれるようになったことで知られる。ジョンズ・ホプキンス大学病院において手術で彼女から切除された癌性腫瘍から取り出された細胞は、同大学の生物学者であるジョージ・オットー・ゲイによって培養され、不死化(英語版)した細胞株の確立に至った。

ヘンリエッタ・ラックス
バージニア州にあるヘンリエッタ・ラックスの記念碑

これにより、当人の知らないところで、その死後にドナーとして著名になった。本人の同意がない細胞の採取・培養やHeLa細胞ゲノムの一部の公開は、その後に重視されるようになった医療倫理に反するとの批判を受け、アメリカ国立衛生研究所(NIH)がラックス家とゲノム利用について事前承認を得ることなどを定めたルールをつくった。

生い立ち

ヘンリエッタ・プレザント (Henrietta Pleasant) として1920年8月1日に、バージニア州ロアノークで、母イライザ(Eliza、1886年1924年)と父ジョン・ランドル・プレザント1世(John Randall Pleasant I、1881年1969年)の間に生まれた。イライザは、1924年に末子を生んだ際に死んでいる。母イライザの死後、妻を亡くした父ジョン・プレザントは、母方の親戚に子どもたちをしばしば預けており、子どもたちはそこで育てられた。ジョンは鉄道員で制動手として働いていた。

経歴と死

ヘンリエッタは、実のいとこであったデヴィッド・ラックス1世(David Lacks I、1915年2002年)とバージニア州ハリファックス郡で結婚した。北部で仕事を探しに行くようデヴィッドを説き伏せた彼女は、夫の後から、1943年に子どもたちを連れて北部へ移った。デヴィッドは、メリーランド州スパローズ・ポイント英語版の造船所で仕事を見つけ、現在のメリーランド州ボルチモア郡ダンドーク英語版の一部にあたる、当時のターナーズ・ステーションのニュー・ピッツバーグ・アヴェニュー (New Pittsburgh Avenue) に家を構えた。この地区は、当時のボルチモア郡におよそ40ほどあったとされる当時のアフリカ系アメリカ人コミュニティの中でも最も大規模なものの一つでありであり、また最も新しいものの一つでもあった。

ヘンリエッタとデヴィッドの間には5人の子どもが生まれた。末子ジョセフ・ラックス (Joseph Lacks) は、1950年11月にジョンズ・ホプキンズ大学の付属病院であるジョンズ・ホプキンズ病院で生まれたが、それはヘンリエッタが癌と診断される4ヶ月半前のことであった。

デトロイト・フリー・プレス英語版』紙のマイケル・ロジャース (Michael Rogers)、『ローリング・ストーン』誌、レベッカ・スクルート英語版などによると、1951年2月1日ニューヨークポリオ(急性灰白髄炎)の根絶を求める大行進が行われた数日後、ヘンリエッタ・ラックスはジョンズ・ホプキンズ病院に行き、子宮頸部に痛みを伴う「瘤」が出来ていると訴えた。このとき彼女は子宮頸癌に罹患していたのだが、診察した医師はこの癌を診た経験がなかった。

最初の治療が施される前に、ラックス本人の知らないうちに無断で、研究目的で癌腫から細胞が取り出された。ラックスは、1951年当時の標準治療であったラジウム・チューブの膣への挿入と縫合を施された。数日後、チューブは膣から取り除かれて、ラックスはジョンズ・ホプキンズ病院から退院し、その後はX線治療のために通院するよう指示された。ラックスはX線治療のために通院を始めたが、施術によって放射線で身体を焼かれることになってしまう。容態は悪化し、病院の医師たちはそれが何らかの隠れた性病によるものだと判断して抗生物質を与えた。強い痛みと改善しない容態を抱え、ラックスは再入院を求めて病院へ行ったが、治療と輸血を受けたものの、尿毒症を引き起こして1951年10月4日に31歳で死亡した。その後の部分的な検死によって、癌が体内各所に転移していたことが分かった。ラックスは、墓石もなくラックスタウン(後述)の家族墓地に埋葬された。このため、正確な埋葬の場所は分からなくなっているが、家族はそれが、母イライザの墓から数フィートも離れていない場所であると信じている。

ラックスタウン (Lackstown) は、バージニア州ハリファックス郡クローバー英語版の一部である。ラックスタウンという地名はこの土地を所有してきた家族の名にちなむものでおり、奴隷主であったラックス (Lax) という人物から土地を譲り受けた奴隷たちやその子孫の一族が、ラックス (Lacks) 家と名乗ったことに由来している。ラックスタウンの家族墓地には5つの墓があるが、墓石があるのはヘンリエッタの母イライザ・プレザントだけである。

死去後

本人の死後、研究者たちは「(ヘンリエッタから取り出された)細胞が、これまで見たこともないことをしていると気づいた。細胞は生き続け、成長をし続けることができたのである。」『デトロイト・フリー・プレス英語版』紙のマイケル・ロジャース記者によると、ヘンリエッタから取り出されたHeLa細胞は、その後成長し、ジョンズ・ホプキンズ病院がポリオ根絶を求める声に応じる上で、大いに役立つことになった。1954年には、ジョナス・ソークによってポリオ・ワクチンの開発にHeLa細胞が用いられた。

1996年ジョージア州アトランタモアハウス大学アトランタ市長ビル・キャンベル英語版は、ヘンリエッタ・ラックスの家族に対して、物故者顕彰を行った。その後、1997年から、ターナーズ・ステーションの住民たちは、彼女を顕彰する行事を数年にわたって毎年行った。このターナーズ・ステーションにおける、ヘンリエッタ・ラックスとその家族、彼女の科学への貢献に対する最初の顕彰行事が行われた直後、米国議会下院では、当時のメリーランド州選出下院議員だったロバート・アーリック英語版の提案によって、ヘンリエッタ・ラックスの栄誉を称える決議が採択された。

1997年アダム・カーティス英語版監督による、ヘンリエッタ・ラックスとHeLa細胞を取り上げたドキュメンタリー『Modern Times: The Way of All Flesh』が、サンフランシスコ国際映画祭で最優秀科学・自然ドキュメンタリー賞を受賞した。1997年にこれがテレビ放映されると、『ボルティモア・サン英語版』紙のジャックス・ケリー記者によって、HeLa細胞や、ラックスとその家族に関する記事が、公刊された。1950年代以来、ラックスとHeLa細胞に関するニュースは、世界中の新聞、雑誌、学術誌、書籍、その他の学術出版物で取り上げられてきたが、ボルチモア市とボルチモア郡では、1990年代に至って地元紙『Dundalk Eagle』がラックスについて最初に記事に取り上げ、その後も地元における顕彰事業を継続的に報じてきた。ラックス家はスミソニアン博物館からも顕彰されている。全米がん研究財団英語版は、2001年7月18日プレスリリースを出して、同年9月14日に、「癌研究と現代医学への貢献に対し、故ヘンリエッタ・ラックスさんを」顕彰する旨の発表をした。しかし、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響で、式典の日程は変更された。

ヘンリエッタ・ラックスについての書籍『The Immortal Life of Henrietta Lacks』を書いたレベッカ・スクルート英語版は、ヘンリエッタの細胞が取り出された生体組織検査(バイオプシー)の後、家族に起きたことの影響についても記録している。夫デヴィッド・ラックスは、ヘンリエッタの死後、ほとんど何も事情を知らされなかった。人種差別的な南部の土壌もあって疑惑が取りざたされ、そこには階級や教育の問題も絡んでいた。科学界においてHeLa細胞は科学の前進を主導するヒトの細胞組織として見られていたが、ラックスは死後も、家族にとっては妻であり、姉妹であり、母であった。当初、ラックス家の人々は、ヘンリエッタに由来する細胞株の存在については何も知らされていなかった。その存在が明らかになったとき、家族はなぜこのようなことが起きたのか困惑し、また、HeLa細胞の存在が彼らの母親の死と不死にどう関わるのかについて不安をもった。HeLa細胞をめぐっては、倫理上の論争が生じたが、ラックス家は医師たちが無断で細胞組織を取り出したことに対して、また、HeLa細胞を他の研究者へ分け与えたり、細胞株を売買したりしたことに対して、怒りを高じさせることになった。

脚注

参考文献

  • Russell Brown and James H M Henderson, 1983, The Mass Production and Distribution of HeLa Cells at Tuskegee Institute, 1953-1955. J Hist Med allied Sci 38(4):415-43
  • Michael Gold, A Conspiracy of Cells, 1986, State University of New York Press
  • Hannah Landecker英語版 2000 Immortality, In Vitro. A History of the HeLa Cell Line. In Brodwin, Paul E., ed.: Biotechnology and Culture. Bodies, Anxieties, Ethics. Bloomington/Indianapolis, 53-72, ISBN 0-253-21428-9
  • Hannah Landecker英語版, 1999, "Between Beneficence and Chattel: The Human Biological in Law and Science," Science in Context, 203-225.
  • Hannah Landecker英語版, 2007, Culturing Life: How Cells Became Technologies. 第4章の標題は「HeLa」である。
  • Rebecca Skloot英語版, 2010 The Immortal Life of Henrietta Lacks, Random House, ISBN 9-781-400-05217-2

関連項目

外部リンク

Tags:

ヘンリエッタ・ラックス 生い立ちヘンリエッタ・ラックス 経歴と死ヘンリエッタ・ラックス 死去後ヘンリエッタ・ラックス 脚注ヘンリエッタ・ラックス 参考文献ヘンリエッタ・ラックス 関連項目ヘンリエッタ・ラックス 外部リンクヘンリエッタ・ラックス10月4日1920年1951年8月1日HeLa細胞en:Immortalised cell lineアフリカ系アメリカ人ジョンズ・ホプキンス大学ジョージ・オットー・ゲイ培養細胞子宮頸がん悪性腫瘍

🔥 Trending searches on Wiki 日本語:

NEWS (グループ)太宗 (朝鮮王)小池百合子中田正子YOU (タレント)坂口杏里令和健康科学大学中野英雄オードリー (テレビドラマ)寺田ヒロオ今田美桜ボイジャー1号塩﨑実央伊藤聡子ブランドン・フィゲロアメイドインアビスタカアンドトシ真田広之天童よしみ東日本大震災鈴木絵理黒川想矢名探偵コナン ハロウィンの花嫁玉栄丸爆発事故ベーブ・ルース若林志穂トライストーン・エンタテイメント帝国大学坂口憲二山﨑伊織なつぞらSEVENTEEN (音楽グループ)366日 (テレビドラマ)首都圏連続不審死事件亀井亜紀子 (政治家)SAP (企業)からかい上手の高木さん関ヶ原の戦い4月23日三浦大輔犬飼貴丈でんぱ組.inc石井竜也羽瀬川なぎ高橋成美勃起浅香航大柄本佑三吉彩花加藤結李愛東京都第15区日本ヤーレンズ吉本総合芸能学院警視庁強行犯係・樋口顕スーパー戦隊シリーズ切り裂きジャック若林豪名探偵コナン ゼロの執行人井上和香イチロー山崎隆之美輪明宏瑳峨三智子周期表サカナクション仲野太賀鈴木唯人度会隆輝深田萌絵岡江久美子渡邊雄太デッドプール&ウルヴァリンBABYMONSTER月が導く異世界道中リオネル・メッシ山田孝之重岡大毅🡆 More