ケイン・タケシ・コスギ(Kane Takeshi Kosugi、1974年10月11日 - )は、アメリカ合衆国ロサンゼルス出身の俳優・アクション俳優・タレント。
Kane Takeshi Kosugi ケイン・コスギ | |
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本名 | ケイン・タケシ・コスギ |
別名義 | 小杉 健(こすぎ たけし) |
生年月日 | 1974年10月11日(49歳) |
出生地 | アメリカ合衆国,ロサンゼルス |
国籍 | アメリカ合衆国 |
身長 | 181cm |
血液型 | A型 |
職業 | 俳優・タレント |
ジャンル | 映画、テレビドラマ |
活動期間 | 1982年 - |
活動内容 | 1982年:デビュー |
配偶者 | 既婚 |
著名な家族 | 父:ショー・コスギ 弟:シェイン・コスギ |
事務所 | デスティニープロダクション |
公式サイト | KANE KOSUGI Official web site |
主な作品 | |
『ニンジャII/修羅ノ章』(1982年) 『デス・オブ・ニンジャ/地獄の激戦』(1984年) 『兜 KABUTO』(1990年) 『琉球の風』(1993年) 『ウルトラマンパワード』(1993年-1994年) 『忍者戦隊カクレンジャー』(1994年-1995年) 『聖龍伝説』(1996年) 『CAT'S EYE キャッツ・アイ』(1997年) 『WHO AM I?』(1998年) 『はぐれ刑事純情派』(1999年-2002年) 『マッスルヒート』(2002年) 『ゴジラ FINAL WARS』(2004年) 『DOA/デッド・オア・アライブ』(2007年) 『ローグ アサシン』(2007年) 『ニンジャ・アベンジャーズ』(2013年) 『鉄拳 Kazuya's Revenge』(2014年) 『テラフォーマーズ』(2016年) 『劇場版 仮面ライダーリバイス バトルファミリア』(2022年) |
ケイン・コスギ | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2022年 - |
登録者数 | 4100人 |
総再生回数 | 19万8,082回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年1月4日時点。 |
マラナサ・ハイスクール卒業。デスティニープロダクション所属。親しみやすいキャラクターと、超人的と評される身体能力で人気を博す。
1974年、アメリカ・ロサンゼルスにてハリウッドスターであるショー・コスギの長男として生まれる。母は中国人で、弟と妹が一人ずついる。
1歳半から父に武道を習い始める。柔道、剣道、古武道、中国武術、テコンドー、器械体操、スカイダイビング、スキューバダイビング、水泳、ゴルフ、乗馬、アメリカンフットボール、バスケットボールなどスポーツ万能である。
1982年、8歳で父の主演するハリウッド映画『ニンジャII/修羅ノ章』に出演し、芸能界デビューを果たす。その後も父の主演映画数本に弟・シェイン・コスギと共に子役として出演、幼くしてスタントも披露している。
中学生から高校生時代に、ボディビルダーやアーノルド・シュワルツェネッガーの身体に憧れ、ウエイトトレーニングを始める。
ハイスクール卒業後に俳優を志したケインは、父親に日本で修行するよう提案される。大河ドラマ『琉球の風』に出演するため来日が決まっていたショーとともに18歳で来日。撮影終了後はひとりで日本に残り、コーヒーショップで皿洗いのアルバイトをしながら俳優修業を開始。その間満足に食べる物もない日々もあった。
1993年には『ウルトラマンパワード』に「ウルトラマンパワード / ケンイチ・カイ隊員」役で出演、1994年にはスーパー戦隊シリーズの『忍者戦隊カクレンジャー』に「ニンジャブラック / ジライヤ」役で出演。
TBS系のスポーツバラエティ番組『筋肉番付』では、番組を見て自ら出演を希望。優れた身体能力を示し、22歳の時に『スポーツマンNo.1決定戦』第2回サバイバルバトルに初出場し総合No.1に輝き、現時点で6度の総合No.1に輝く。『SASUKE』では2000年の第6回大会で弟のシェイン・コスギとともに3rdステージに進出。兄弟同時3rdステージ進出はSASUKE史上唯一である。2001年の第8回大会ではFINAL STAGEまで進出した。
1999年から2002年まで『はぐれ刑事純情派』に出演。それまでアクションものやスポーツものが多く、演技だけの勝負で3年間出演できたことが大きかったと語っている。
2002年制作のアクション映画『マッスルヒート』で映画初主演。
2005年には、ブルース・リーやアーノルド・シュワルツェネッガーといった、国際的なアクションスターを手掛けた、ハリウッドの三大エージェントICM元代表をマネージャーに迎え、本格的にハリウッドへ進出をした。
また、2006年製作で2007年公開の映画『DOA/デッド・オア・アライブ』で、ハリウッドデビューを果たす。
2014年公開のハリウッド映画『TEKKEN 2:KAZUYA’S REVENGE』(英語版)で主演を務め、ハリウッド映画初主演。同年にはスコット・アドキンスとのダブル主演作となるハリウッド映画『ニンジャ・アベンジャーズ』(原題はNinja: Shadow of a Tear。2013年制作)が2015年に日本で公開されることが決定した。
2018年元日放送のTBS『究極の男は誰だ!?最強スポーツ男子頂上決戦』に初出場。14年ぶりにモンスターボックスとショットガンタッチに挑戦した。
同年3月24日、「第1回全国高校eスポーツ選手権」スペシャルサポーターを務めた。以来、全国高校eスポーツ選手権のスペシャルサポーターを継続している。
2019年3月、妻との間に女児が誕生したことを自身のTwitterで公表。
2020年9月5日、神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズ VS 中日ドラゴンズ14回戦の始球式に参加。投球の際、180度開脚を行うパフォーマンスを魅せた。
2022年、映画『劇場版 仮面ライダーリバイス バトルファミリア』にて「アヅマ / 仮面ライダーダイモン」を演じる。これにより、スーパー戦隊シリーズ・ウルトラシリーズ・仮面ライダーシリーズの3大特撮ドラマシリーズへの出演を達成、さらに史上初めて3シリーズ全てで変身ヒーローとしての出演を果たすが、インタビューでは「年齢的にもう難しいかなと感じた時にオファーをいただいた」と語っていた。
12月27日放送の『SASUKE2022~NINJA WARRIOR~』第40回大会に出演し、1stステージをクリア。48歳でのクリアは史上最高齢記録。
2023年、お笑いタレントのなかやまきんに君とコンビ「パーフェクトパワーズ」を結成し、M-1グランプリ2023に参加した。
ハリウッド映画『ニンジャ・アベンジャーズ』では、通常7〜8パーセントの体脂肪率を4%に絞って撮影に臨んだ。「シャープでキレキレになりました」「20代は筋肉だけ付けてましたが、今の方が動けます。(ケイン)史上最高です」などと語っている。クライマックスのシーンは欧米各国で賞賛され、アメリカ合衆国でアクションを対象にした賞の年間ベストに選ばれている。
テレビゲームが趣味で、来日当初は5畳半のアパートで『ストリートファイター2』を毎日何時間もプレイしていた。また、OVA『ストリートファイターZERO』では、リュウの声を担当している。
『ドラゴンボール』が好きで、本作のアニメを観て日本語を勉強した。
2018年ごろからは前述のとおり大会アンバサダーを務めるなど、eスポーツでも注目の1人とされている。
好きなハリウッド映画は『グラディエーター』、『アルマゲドン』。
好きな食べ物はハンバーガー、コロッケ、カレー、トンカツ、すき焼き、春巻き。
日本漢字能力検定10級。
『忍者戦隊カクレンジャー』では、起用時に『カクレンジャー』か『ブルースワット』か選ぶことができたが、忍者アクションができることから前者を選んだ。共演した小川輝晃は、ケインとトランポリンやマットの技を競い合うことで自然にアクションを学んでいった。当初は日本語を苦手としていたため、台本にはローマ字で振り仮名を書き込んでいた。東映プロデューサーの鈴木武幸によれば、ケインは日本語学校で学ぶことを宣言していたが、鈴木はたどたどしさがいいとしてそのまま起用した。第28話・第29話には、ショー・コスギがゲスト出演し、親子での共演を果たした。
主演映画『マッスルヒート』ではノースタントで撮影。26時間連続で撮影した日もあった。トップアスリートの数値をも駕するケインの肉体によりノースタントを実現させている。ケインはあらゆる武術を学んでいるが、この作品の撮影のために新たに中国拳法を会得している。
ケインは『マッスルヒート』を撮り終えた後のインタビューで、「今回、やっとアクションの仕事ができた。(中略)僕のイメージは、きっとスポーツというところにあるんだと思うけれど、スポーツについては、単に人に負けたくないから頑張ってきただけで、最終的に世界的なアクション俳優になることが目標だったから、今回、日本のアクション映画に出演できて本当に嬉しい」と語っている。初めてアクションスターになりたいと思ったのは5歳半の時に父が出演していた映画を見た時であるという。
ケインが独立した際、父に勘当を言い渡された。その後結婚式の際に香港にて再会を果たしている。
秋葉原駅前広場(2001年7月31日に閉鎖)でバスケットボールをしていたところ、たまたまサモ・ハン・キンポーの息子がいて知り合いになりジャッキー・チェンを紹介され、その後ジャッキーの下で映画製作の勉強をさせてもらう。
ケインのものまねを行うものまねタレントの山本高広の結婚を知った際には、公式サイトの日記にて祝福している。その山本とは2016年にフジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」で初共演した。
山本が真似するケインの「Perfect Body」は、ケインがトレーニングに関する深夜番組に出演した際、たまたま言い放っており、山本がそこだけを真似してテレビなどで度々披露するようになった。その時にケインはアメリカにいたため、帰国後に周囲から「アレやって!」と言われても何のことか分からず、YouTubeで検索したところ山本がケインのものまねで「Perfect Body」と言った映像を視聴して初めて理解した。
『筋肉番付』に出演した当初は『スポーツマンNo.1決定戦』と『SASUKE』に出場していたが、身体作りやトレーニングは『スポーツマンNo.1決定戦』のトレーニングをメインとしていたが、『SASUKE』では第1回大会に初出場してから、出場した3大会連続で3rd STAGEまで進出していた。しかし、2001年春の第7回大会で、初めて2nd STAGEでリタイアし、競技後に現・総合演出の乾雅人(当時AD)に、「FINAL(STAGE)に進出するために『SASUKE』のトレーニング始めるから次のスポーツマンNo.1は捨ててもいいか?」と聞いていた。結果スポーツマンでは照英が総合No.1に輝き、ケインは2001年秋の第8回大会のSASUKEでFINAL STAGEに進出した。
2008年にプロ野球選手の豊田清(当時読売ジャイアンツ所属)とともにグアムでトレーニングを行った。豊田はケインについて「(ケインは)凄かったよ。バランスとかね」と語っている。
垂直跳びは86センチメートル。
2016年4月29日に生放送された『テラフォーマーズ』の特番では握力73キログラムを計測した。日本テレビ『嵐にしやがれ』に出演した際は、リンゴを片手で潰した。
『筋肉番付』のプロデューサーである樋口潮は、ケインの跳び箱の試技をアトランタ五輪の開会式でオリンピックの歴史に名を刻む選手として全世界に紹介されたスーパースターらと比較し、ケインの跳躍の脅威さ、跳躍に対する驚嘆の意を自著で記している(詳細は後述)。
『サラリーマン金太郎』で、代役なしで過酷なアクションとスタントにも率先して挑戦していた永井大を見た竹田道弘は、永井に「日本人でこれだけ動けるのは、ケイン・コスギとお前だけ」と称賛したという。
古舘伊知郎は『スポーツマンNo.1決定戦』の2000年のプロ大会でNo.1を獲得したケインを振り返り、総合力だと野球選手が強いという固定観念が芽生えた辺りで俳優のケインがNo.1になったことに驚いたという。
『SASUKE』唯一の皆勤賞である山本進悟は、ライバルにケインの名を挙げている。
テレビ番組『筋肉番付』内で活躍し、後述の『スポーツマンNo.1決定戦』や『SASUKE』の他、番組内で少林寺やSWATなどでの修行の模様も放送された。テレビ体操21という企画においてはVHSも発売された。『スポーツマンNo.1決定戦』では幾度も総合No.1に輝き、『SASUKE』でも第8回大会ではFINAL STAGEまで進出し、挑戦者100人の中のトップに立った。ケインはSASUKEとスポーツマンNo.1決定戦両方でトップに立った唯一の人物である。
『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』では、歴代最多の6度の総合No.1に輝いている。MONSTER BOXで世界記録に1段差と迫る22段(体操選手を除けば最高記録)、パワー系種目のWORK OUT GUYSでは世界記録である45秒46、スピード系種目のSHOT-GUN-TOUCHでは芸能人歴代1位となる13メートル10センチメートルの記録を持つ。スピード系、パワー系、筋持久力系競技でNo.1となるなど、万能選手として活躍した。
2020年のインタビューの際には、スポーツマンNo.1決定戦について「僕の『人生』そのものです」と語っている。
大会 | 放送日 | 総合順位 |
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第2回 芸能人サバイバルバトル | 1997年4月2日 | No.1 |
第3回 芸能人サバイバルバトル | 1998年4月1日 | No.1 |
第4回 芸能人サバイバルバトル | 1998年10月2日 | No.1 |
第5回 プロスポーツマン大会 | 1999年1月1日 | 4位 |
第5回 芸能人サバイバルバトル | 1999年3月26日 | 2位 |
第6回 プロスポーツマン大会 | 2000年1月1日 | No.1 |
第6回 芸能人サバイバルバトル | 2000年3月24日 | No.1 |
第7回 芸能人サバイバルバトル | 2000年10月 10日・14日 | No.1 |
第7回 プロスポーツマン大会 | 2001年1月1日 | 2位 |
第8回 芸能人サバイバルバトル | 2001年3月23日 | 2位 |
第8回 プロスポーツマン大会 | 2002年1月1日 | 2位 |
第10回 プロスポーツマン大会 | 2004年1月1日 | 4位 |
第1回大会、第4回大会、第6回大会では3rd STAGEに進出したが、第7回大会では2nd STAGEで脱落を喫した。第8回大会では2nd STAGE、3rd STAGEをクリア。FINAL STAGEではスパイダークライムを突破するもゴールまでは届かずタイムアップとなった。
大会 | ゼッケン | STAGE | エリア | 出典 |
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第1回大会 | 89 | 3rd | ポールブリッジ | |
第4回大会 | 97 | クリフハンガー | ||
第6回大会 | 98 | ボディプロップ | ||
第7回大会 | 2nd | スパイダーウォーク改 | ||
第8回大会 | 91 | FINAL | 綱登り | |
第40回大会 | 3991 | 2nd | バックストリーム |
ほか多数
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