シティベニ・リンガマンマンダ・ランブカ(英語: Sitiveni Ligamamada Rabuka、1949年9月13日 - )は、フィジーの元陸軍軍人、政治家。元国軍司令官。現在、4度目の同国首相兼外務大臣を務めている。1992年から1999年にも首相を務めた。1987年10月に君主制であったフィジーで共和国宣言をし、イギリス連邦を離脱させた。
シティベニ・ランブカ Sitiveni Rabuka | |
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フィジー首相 | |
就任 2022年12月24日 | |
大統領 | ウィリアメ・カトニヴェレ |
前任者 | フランク・バイニマラマ |
任期 1992年6月2日 – 1999年5月19日 | |
大統領 | カミセセ・マラ ペナイア・ガニラウ |
前任者 | カミセセ・ララ |
後任者 | マヘンドラ・チョードリー |
フィジー暫定軍事政府議長 | |
任期 1987年10月7日 – 1987年12月5日 | |
後任者 | ペナイア・ガニラウ |
個人情報 | |
生誕 | 1949年9月13日 フィジー、カカウドローヴ州ドレケニワイ村(バヌアレブ島) |
政党 | 人民同盟党 |
配偶者 | スルウェティ・ツイロマ |
子供 | 3 |
宗教 | クリスチャン |
兵役経験 | |
渾名 | スティーブ、ランボー |
所属組織 | フィジー共和国軍 |
軍歴 | 1968–1991 |
最終階級 | 少将 |
部隊 | フィジー陸軍 |
戦闘 | レバノン内戦 |
受賞 | 大英帝国勲章 レジオンドヌール勲章 |
カカウドローヴ州にあるドレケニワイ村の出身である。クイーン・ビクトリア・スクールで教育を受け、1974年度英連邦競技大会では十種競技代表選手として出場した。1973年にサンドハースト王立陸軍士官学校で専門能力開発コースを修了後、9年間はイギリス連邦内にある各地の士官学校の職員として勤務。1982年に帰国後、フィジー陸軍訓練将校として任務に携わる傍、レバノン内戦に多国籍軍監視団のメンバーとしてシナイ半島に配置された。多国籍軍を勝利に導いたとして、1981年にエリザベス2世から大英帝国勲章を授与される。
1987年にはフィジー人の覇権を主張するために軍事クーデターでは当時の総督であったペナイア・ガニラウを解任させ、クーデターを成功させた。当時、インド系政府を打倒したとして先住民のフィジー人から英雄として崇められ、ランボーの異名でも呼ばれた。しかし2006年にはクーデターを実施したことを謝罪し、治療のためにインドを訪れた際にクーデターのことを悔やんでいると報じられている。
民主的な選挙で1992年から7年間、首相に就任。2022年には野党3党の連立政権を組み、首相に返り咲いた。
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