『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄による日本のSF生活ギャグ漫画である。1969年から主に児童向け雑誌で「藤子不二雄」名義で連載が開始された。開始当初から藤本弘単独作。1989年以降は「藤子・F・不二雄」名義となった。日本では国民的な知名度があり、海外でも東アジアや東南アジアを中心に高い人気を誇る。
ドラえもん | |||
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『ドラえもん』の主要キャラクターの像 (高岡おとぎの森公園内「ドラえもんの空き地」より) | |||
ジャンル | 児童漫画、少年漫画、 SF漫画、ギャグ漫画 | ||
漫画 | |||
作者 | 藤子・F・不二雄 | ||
出版社 | 小学館 | ||
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掲載誌 | 小学館の学習雑誌 コロコロコミック てれびくん 他 | ||
レーベル | てんとう虫コミックス 他 | ||
発表期間 | 1969年 - 1997年 | ||
巻数 | 全45巻 (てんとう虫コミックスの 短編単行本の巻数) | ||
話数 | 全1345話以上 | ||
その他 | 各話のタイトルは 漫画エピソード一覧を参照。 レーベル・巻数の詳細は#単行本を参照。 大長編漫画は大長編ドラえもんを参照。 | ||
テレビアニメ | |||
映画 | |||
テンプレート - ノート | |||
プロジェクト | 漫画 | ||
ポータル | 漫画 |
22世紀の未来からやってきたネコ型ロボット・ドラえもんと、勉強もスポーツも苦手な小学生・野比のび太が繰り広げる日常生活を描いた作品である。基本的には一話完結型の連載漫画だが、連続ストーリー型となって日常を離れた冒険をする「大長編」シリーズもある。一話完結の基本的なプロットは、「ドラえもんがポケットから出す多種多様なひみつ道具(現代の技術では一部を除き実現不可能な機能を持つ)で、のび太(以外の場合もある)の身にふりかかった災難を一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」といったものがが多い。
のび太がお正月をのんびりと過ごしていると、突然、どこからともなく彼の未来を告げる声が聞こえ、机の引出しの中からドラえもんと、のび太の孫の孫のセワシが現れた。セワシ曰く、のび太は社会に出た後も沢山の不運に見舞われ、会社の倒産が原因で残った莫大な借金によって子孫を困らせているという。そんな悲惨な未来を変えるために、ドラえもんを子守用ロボットとしてのび太のもとへ連れてきたのだった。のび太の同級生である源静香(しずか)、剛田武(ジャイアン)、骨川スネ夫(スネ夫)も交え、ドラえもんたちの日常は続いていく。
1969年の初夏、『ウメ星デンカ』の次の連載をどうするかという会議が料亭にて開かれたが(出席者は藤本弘、安孫子素雄の藤子不二雄コンビの他、小学館の低学年の学年誌の編集長と若手編集者ら)、その場では方向性が定まらなかった。『ウメ星デンカ』のテレビアニメ放送は同年9月に終了。藤本はそのアニメ制作を行っていたスタジオゼロの社長を9月まで1年5か月間務めており、自身の作品の人気により社員80人の行く末が左右されることもあって、『ウメ星デンカ』のテレビアニメ放送が終わった時期は苦しんでイライラしている様子だったという。
同年秋(9月または10月)に2回目の会議が開かれた。ゴンスケをサラリーマン化した新連載をという『週刊少年サンデー』編集部からの提案を藤本は拒否し、『オバケのQ太郎』(安孫子との合作)以来、『パーマン』(旧作は合作)、『21エモン』、『ウメ星デンカ』と途切れることなく続いていた『週刊少年サンデー』連載陣を降り(安孫子は同年10月の時点で週刊連載3本、月間連載3本を抱えていたが、藤本は『週刊少年サンデー』が当時唯一の週刊連載枠だった)、講談社の『週刊ぼくらマガジン』で『モジャ公』の新連載を開始することを決断。小学館の新連載は学習雑誌のみに掲載されることになった。
10月、藤本は講談社用に『モジャ公』の連載第1回を執筆。小学館用には『ウメ星デンカ』とともに、新連載の予告カット(主人公の姿は描かれておらず、「出た!」という大きな文字が机の引き出しから飛び出し、眼鏡の少年が驚いている場面)を執筆した。
11月1日に発売された『小学四年生』1969年12月号にその予告は掲載された。そこには、ドラえもんの姿もタイトルも掲載されておらず、「つくえのなかから飛び出した。何が? その名は? 正体は?」「どんなお話かは、正月号のお楽しみ!」と書かれていた 。藤子不二雄としては約5年前の1964年12月にも『怪物くん』(安孫子単独作)で主人公の顔を描かない予告ページを掲載しているが、怪物くんの場合は後ろ姿は描かれており、タイトルも記載されていた。
11月4日、『モジャ公』の連載第1回が掲載された『週刊ぼくらマガジン』創刊号が発売された。『モジャ公』の週刊連載に追われる中、10月半ばから藤本は並行して小学館の新連載の構想を練るが、作品の詳細はなかなか決まらなかった。『ウメ星デンカ』に登場したふしぎな道具を生かした内容にすることはこの時点で決まっていた。
藤本が1978年に執筆した漫画『ドラえもん誕生』は、下記の経緯でドラえもんが誕生したという内容になっている。
これに対し、元アシスタントスタッフのえびはら武司の『まいっちんぐマンガ道』によれば、「ある猫を飼う男が、自分の悪い未来を変えるために冒険する」というロバート・A・ハインラインの小説『夏への扉』がドラえもんの元になったという。えびはらによると、藤本は「そんなこと書いても読者は喜ばない」として、上記『ドラえもん誕生』で描かれたようなエピソードを自ら創作したのだとしている。
安孫子は下記のように証言している。
漫画評論家の米澤嘉博は、ドラえもんの発想の原型のひとつとして、何でも取り出す魔法のカバンを持ったネコのキャラクターが主人公であるアメリカの漫画『フィリックス・ザ・キャット』を上げている。
1969年より、小学館の学習雑誌(『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「藤子不二雄」(藤子不二雄の2人のうちの1人、藤本弘による単独執筆作)。1話ごとに完結する短編として執筆。タイトルロゴは『オバケのQ太郎』のロゴも手掛けた赤松育延によるもので、ドラえもんの手足をイメージしている。
計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという。1973年に最初のテレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画の解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。
単行本は1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベル『てんとう虫コミックス』の第1号作品である。
単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌に掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌『コロコロコミック』を創刊。人気・知名度もさらに上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど、小学館を代表する作品となっている。
本作が爆発的にヒットしたことで、本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディア、おもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本の執筆活動は本作の短編と大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編の仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆が不可能になったりする等の弊害も生じた。
1979年から続くアニメ放送は人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的なマスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組・広報誌などでドラえもんの意匠を使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前で募金活動が行われている。
高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが使用されているほか、大学入試の問題にも登場した。
2002年には、『タイム』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された。『日経エンタテインメント!』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』の第1巻、第20巻、第40巻を比較すると、それぞれで絵柄が大きく異なる。これは長期連載ゆえに作者の藤本弘自身の絵柄が年代とともに変化したことが大きな要因だが、その次に「藤本の片腕として作画に関わったチーフアシスタントが年代によって交代している」という要因があげられる。
『ドラえもん』が描かれた時期の藤本作品の作画は、下記のような分業が基本となっていた(例外あり。藤本が人物の全身をペン入れすることもあれば、はじめて出てくる背景等を描くこともあった)。
藤本弘による短編漫画『ドラえもん』が執筆された年代の、藤本のチーフアシスタントは下表の通り。
# | 短編担当 年月 | 名前 | 入社年月 | チーフ 就任年月 | チーフ就任期間中の 主な『ドラえもん』短編 |
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1 | 1969.10– | 永田竹丸 | 1967.12 | 1967.12 | 「未来の国からはるばると」「恐竜ハンター」 「ドラえもんだらけ」 「おばあちゃんのおもいで」 「のび太のおよめさん」「ぼくの生まれた日」 「地球製造法」など |
2 | 1973.3– | 方倉陽二 | 1970.4 | 1973.3 | 「さようなら、ドラえもん」「帰ってきたドラえもん」 「台風のフー子」「のび太の恐竜(短編)」 「ラジコン大海戦」など |
3 | 1976.10– | さとうかずひろ | 1975.3 | 1976.10 | 「どくさいスイッチ」「バイバイン」 「天井うらの宇宙戦争」 「大氷山の小さな家」「雪山のロマンス」など |
4 | 1979.8– | 田中道明 | 1975.12 | 1979.8 | 「のび太の地底国」「ガンファイターのび太」 「竜宮城の八日間」「南海の大冒険」 「のら犬「イチ」の国」 「異説クラブメンバーズバッジ」など |
5 | 1980.10– | たかや健二 | 1977.2 | 1980.10 | 「のび太の結婚前夜」「無人島の大怪物」 「石器時代のホテル」「めいわくガリバー」 「超リアル・ジオラマ作戦」「さらばキー坊」など |
6 | 1986.10– 1987.3 | いそほゆうすけ | 1979春 | 1986.10 (1988.1まで) | 「ぼくミニドラえもん」など |
7 | 1988.3–4頃 | たかや健二 | 「入りこみミラーⅡ」のみ | ||
8 | 1988.3頃– | 田中道明 | 1988.3頃 | 「タイム・ルーム 昔のカキの物語」 「ゆうどう足あとスタンプ」のみ | |
9 | 1988.6– 1991.2 | 西田真基 | 1981.7 | 1988.6 | 「ドラえもんが重病に?」「深夜の町は海の底」 「七万年前の日本へ行こう」 「こわ〜い! 「百鬼線香」と「説明絵巻」」など |
10 | 1994春– 初夏 | 萩原伸一 | 1988.3 | 1994.3 | 「ガラパ星からきた男」のみ |
1971年から1974年にかけて、ドラえもんが未来に帰る話が3つ描かれているが、うち2つは進級する読者向けのもので、残りの1つはドラえもんが帰ってくるため、作品の連載は変わらず継続された。
1986年の藤本の入院により、新作短編の発表は一時中断となり、年末から再開されたものの藤本が体調を崩したため再度中断。連載は掲載誌を絞って1988年に再開されたが、1991年に休止。「こわ~い! 「百鬼線香」と「説明絵巻」」が結果的に藤本の手による最後の短編となった。小学館の学習雑誌に新規掲載された最後のドラえもん漫画作品は、1994年に3回にわたり集中連載された中編「ガラパ星から来た男」(第45巻収録)。藤本の手による最後のドラえもん漫画作品は『大長編ドラえもん』作品(後述)の『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』である。
1979年からはアニメーション映画の原作として『ドラえもん』の長編漫画が、映画公開に先行して『月刊コロコロコミック』に連載された。それまで発表されていたのは1話完結型の短編作品だったが、『大長編ドラえもん』は1つのエピソードを数回に分けて連載するストーリー漫画型である。映画にふさわしく日常生活ではないスケールの大きな舞台で、ドラえもん達が互いに協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語等が描かれた。
単行本は『大長編ドラえもん』として、短編作品とは独立したシリーズで刊行された(第24作まで)。1996年に藤本(藤子・F・不二雄)が逝去した後も、ドラえもんの大長編漫画作品は萩原伸一(のちのむぎわらしんたろう)および岡田康則ら藤子・F・不二雄プロの作画スタッフによって2003年まで継続して執筆された。
2004年の第24作から、藤子プロから独立した岡田康則による執筆となり、2005年のアニメの声優交代を含む大幅リニューアルによる休止を挟み、2006年からも2010年まで毎年連載が行われた。
それ以降は描かれない年もあるものの、2019年まで新作の大長編漫画が断続的に描かれている(2011年以降の作品はむぎわらしんたろうが執筆。2019年はむぎわらに加え、ときわ藍が少女漫画版を執筆)。
詳細は下記のページを参照。
1973年に日本テレビ動画の製作で最初のテレビアニメが作られ、約半年間日本テレビ系列で放送された。本作は対象年齢が低かったため、視聴率は現在と比較して決して高くはなかったものの、3クール目の放映続行が決まりかけたとき、制作会社が解散し、打ち切り終了となった。
アニメの終了に伴い漫画連載の終了も模索されたが、1974年夏から漫画の単行本が発売開始されて大ヒット。これが2度目のテレビアニメ化につながることとなる。
1979年にテレビ朝日系で再びテレビアニメ化された。1973年のアニメ化時と比べると、漫画の人気がより高まってからのアニメ化となった。2005年には、声優やシンエイ動画の制作スタッフなどを一新する大幅リニューアルが(映画版も含めて)行われ、現在も放送を続けている。
1979年の2度目のテレビアニメ化から現在に至るまで高い人気を保ち続け、長寿番組となっている。なおウィキペディアでは、1973年に放映されたシリーズを「第1作」、1979年から2005年3月まで放映されたシリーズを「第2作第1期」、2005年4月から放映されているシリーズを「第2作第2期」としている。
作者によれば、のび太のモデルは、少年時代の作者自身である。作者の少年時代は、運動能力が低く、いつも漫画を描いていたらしい。
他の登場人物も高岡市で過ごした少年時代の人間関係をモデルにしているという。藤本の少年時代の友人の間では「ジャイアンのモデル」と目されている者もいるとのこと。藤子不二雄の自伝的漫画である『まんが道』(安孫子単独作)の少年時代編においても、番長格の少年が登場する。さらに、しずかについては作者の理想の女性を描いたものだとする説がある。不思議な力を持つ主人公と、その友人の少年に加えて、「紅一点のマドンナ」「体が大きく腕っ節の強い乱暴者のガキ大将」「家が裕福で見栄っぱりのずるがしこい少年」の三者が必ず登場するのは、『キテレツ大百科』『オバケのQ太郎』などの藤子マンガに共通する、いわば“王道”のパターンである。
作品の舞台となる、ドラえもんやのび太たちが住む町は、「東京都練馬区月見台すすきヶ原」という町である。「多奈川」という大きな川が流れている。都内ではあるが、まだ裏山や空き地が開発されずに残されており、主人公たちの遊び場になっている(作者が少年時代を過ごした富山県高岡市の影響ともされる)。
大長編では、地球上で絶滅した恐竜が地底では生き残っていて、恐竜人に進化したものが文明を築いていたことが判明する。また地球には他にも人類以外の知的種族(アフリカ奥地のイヌ科種族、海底人、小人族など)や独自の発達を遂げた人類(海底に移住したムー大陸人=龍宮、雲の上の天上人など)が一般の人類に知られず 存在し、宇宙には多種の地球外生命体も存在することが明かされた。また、この世界には複数の反地球が存在しており、一個はかつて学会で提唱されていたとおりの太陽の裏側のラグランジュポイントに存在し、22世紀では存在を知られている。もう一つは別の恒星系に、地形や人間の性別、性格などがすべてあべこべな反地球が存在している(ここで言う「反地球」は、一般的な反地球とは全く別のものである)。
漫画連載、アニメ放送ともに長期にわたっているため、時期に合わせて、作品内に登場するものにも変化が見られる。
いずれも小学館からの発行。
連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1か月ずれるので注意が必要。また、『月刊コロコロコミック』2002年4月号から「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して再掲載されている(ただし毎年1月号から3月号は映画の漫画版が掲載されるため休載となる)。
藤本が執筆した作品は全1345話(大長編17作と中編「ガラパ星からきた男」を含む)。ただしその一部(1話の全体または一部) は、執筆当時のチーフアシスタントであるたかや健二による作画(藤本が下描きをして通常は藤本がペン入れもするところをたかやが代行した箇所と、たかやが下描きとペン入れの両方を行った箇所の2種類がある)となっている。
ドラえもん学の提唱者である横山泰行は、総数を1344としている。内訳は以下のとおり。
本節では『ドラえもん』の各単行本の概説を記載する。『大長編ドラえもん』については「大長編ドラえもん#単行本」を、各単行本の書誌情報については「#書誌情報」を参照。
本項では、単に「未収録作品」と示している場合、てんとう虫コミックス (TC)『ドラえもん』全45巻に収録されていない作品を示す。
特記のない限り小学館からの発行。
書名 | 備考 | レーベル | 略称 | 巻数 | 収録話数 | 出版年 | 出版社 |
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ドラえもん | 藤子・F・不二雄大全集 | CWF | 20 | 1326 | 2009–2012 | 小学館 | |
Doraemon | Kindle Edition | KE | 200 | 1311 | 2013–2016 | 小学館 | |
ドラえもん | デジタルカラー版 | DC | 200 | 1309 | 2015, 2023 | 小学館 | |
ドラえもん | 中公コミックス 藤子不二雄ランド | FFL | 45 | 833 | 1984–1990 | 中央公論社 | |
ドラえもん | 通常巻 | てんとう虫コミックス | TC | 45 | 822 | 1974–1996 | 小学館 |
ドラえもん プラス | てんとう虫コミックス | DP | 7 | 145 | 2005–2006, 2014, 2023 | 小学館 | |
ドラえもんカラー作品集 | てんとう虫コミックススペシャル | DCW | 6 | 119 | 1999–2006 | 小学館 | |
ドラえもん | 第0巻 | てんとう虫コミックス | TC0 | 1 | 9 | 2019 | 小学館 |
出版されている全集としては、2009年より刊行された「藤子・F・不二雄大全集」の『ドラえもん』(全20巻)および『大長編ドラえもん』(全6巻)が挙げられる。
このうち『ドラえもん』は、1 - 17巻が「学年繰り上がり方式」で収録されており、1962年生まれが7歳になり就学する1969年の小学1年生、1970年の小学2年生、といった順で収録されている。18 - 20巻では、幼年誌やその他の雑誌に掲載された作品を収録している。
また派生作品『ドラミちゃん』の雑誌掲載時の初出版も雑誌からの複写で20巻に収録されており、単行本に収録された版(みよちゃん→しずか、カバ田→ジャイアンといった登場人物の書き換えなど)と比較できるようになっている。
全集では、作者の藤本による改訂はそのまま残し、第三者による改訂はできる限り元に戻すという編集方針がとられた(一部例外あり)。このため、従来の単行本はもちろん、初期の版とも一部のセリフなどが異なっているケースがある。
以下はすべて小学館より刊行。
ひみつ道具を扱う書籍については「ひみつ道具#事典の出版」を参照。
多くの人が認める作者の代表作であり、日本の漫画を代表する作品として、国際的にも知られている。1996年9月23日に本作を執筆中に藤子・F・不二雄が逝去した際には「代表作であり、同時にライフワークであった」と報道された。
漫画家の小林よしのりは、『ドラえもん』は子供たちにとっての基礎であり、『コロコロ』にはずっと載っていなければならない漫画だと語っている。
作家の瀬名秀明はエッセイ『おとぎの国の科学』において、「私は物語の基礎を『ドラえもん』と『コロコロコミック』から学んだ」と述べ、自らの小説『八月の博物館』は「藤子・F・不二雄先生を真似ることで自分のルーツを探ろうと思って書いた」と述べている。
作家の辻村深月は『ドラえもん』を「私のオールタイムベストテン」の筆頭に挙げており、『ドラえもん』をテーマの1つにした小説『凍りのくじら』を発表している。『ドラえもん』に関するコラムも雑誌などに執筆している。
作品論としては、『ドラえもん』と童話の関連性を指摘したものがある。島田裕巳は、「特殊な能力を与えられた人間がそれを乱用し、最後にそのむくいを受けるというパターンは世界の伝統的なおとぎ話のパターンであり、それを取り入れることで長い間人気を保ってきた」と分析している。
漫画評論家の米澤嘉博は、「ひみつ道具」を主軸にして作られる『ドラえもん』の作劇を「マンガにおける一つの発明」と評価している。「スイッチを入れればちょっと不思議な困った出来事、あるいは楽しい出来事が起こり、都合のいい形で停止させれば、日常はまた戻ってくる。「道具」というアイデア、システムによってパターン的な語り口が開発されたのである。事件が起こるのを待つことはないし、誰か訪ねたり、どこかに行ったりする必要なく、日常は途端にワンダーランドに変わる」と述べ、ショートストーリーの作劇にとって「ひみつ道具」というモチーフほど便利なものはないと分析している。
『ドラえもん』は漫画・アニメともに日本国外にも翻訳紹介され、特にアジア圏を中心に人気作品となっている。19の国と地域で翻訳されている。
日本国外の作品タイトルの表記は普通英語で「Doraemon」となるが、「ドラえもん」というカタカナ・ひらがなの混ぜ書きを再現するために、アルファベットの大文字と小文字を併用して「DORAemon」などと表記されることもある。
中国、香港、台湾、マレーシアなどの中国語表記は、長らく「叮噹」(香港、銅鑼の鳴る音の中国語の擬音語)、「小叮噹」(台湾)、「机器猫」(中国、ロボットの猫の意)などとなっていたが、1997年以降の正規出版物は原音に近い発音の「哆啦A夢」(台湾)、「哆啦A梦」(中国)、「多啦A夢」(香港)に変更されている。
朝鮮語表記は「도라에몽」となる。南アジアでは英文表記では「Doraemon」だが、ヒンディー語表記は「डोरेमोन (doremon)」、ベンガル語表記は「ডোরেমন (doremon)」となる。
スペインでは「Doraemon el gato cósmico」(宇宙ネコ・ドラえもん)、アメリカでは「Doraemon Gadget Cat from the Future」(未来から来た小道具使いの猫ドラえもん)と国によっては原作にはない独自の枕詞が付けられることがある。
原作の漫画が出版された国および地域は、中国、香港、台湾、韓国、ベトナム、フィリピン、マレーシア、シンガポール、タイ、ラオス、カンボジア、インドネシア、キプロス、イタリア、スペイン、フランス、ロシアである。各国のコミック雑誌(台湾青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている。また、海賊版は東南アジアで広く見られる。
アメリカ・カナダでは、2013年11月より電子書籍として配信されている(アメリカンコミック調に彩色を施し、登場人物に愛称を付けている)。
1970年代には既に香港・台湾で中国語の海賊版が出版されており、日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が『トンチャモン』というタイトルで出版された。そのため韓国や中国などでは、過去に日本の本家『ドラえもん』の方がコピーと誤解されたこともあった。
ベトナムでは正規版の出版以前に海賊版が1000万部以上売り上げており、1994年に正規版を出版するにあたって、それまで原作者に本来受け取るべき印税(日本円で2000万円相当)を支払いたいと申し出たが、藤子・F・不二雄が「このお金を基にして現地の子供たちのために役立ててほしい」と希望したため、貧困家庭の就学希望児童を支援する「ベトナムの子供たちのためのドラえもん教育基金」が設立された。藤子・F・不二雄はそれに合わせてベトナムを訪問している。
多言語社会であるスペインでは、スペイン語(カスティーリャ語)やカタルーニャ語など5言語で出版された。
アニメーションはこれまで、北米(アメリカ合衆国、カナダ)、中南米(ブラジル、コロンビア、チリ、アルゼンチン、エクアドル、ボリビア、ペルー、パラグアイ、ベネズエラ、パナマ、メキシコ、プエルトリコ、キューバ、ドミニカ共和国、ニカラグア、コスタリカ、ホンジュラス、エルサルバドル)、ヨーロッパ(スペイン、イタリア、フランス、ポルトガル、ポーランド、ベラルーシ、ロシア、イギリス)、中東(サウジアラビア、カタール、UAE、オマーン、レバノン、イスラエル、トルコ)、アフリカ(エジプト、アルジェリア、リビア、モロッコ、チュニジア、ケニア、南アフリカ)、東アジア(中国、香港、マカオ、台湾、韓国)、東南アジア(インドネシア、マレーシア、タイ王国、ベトナム、フィリピン、シンガポール、カンボジア)、南アジア(インド、バングラデシュ、ブータン、ネパール、パキスタン)、オセアニア(オーストラリア)でも放送された(2022年10月現在、オーストラリア、カナダ、ポーランド、イギリス、パキスタンでは放送されていない)。
木村純一プロデューサー(1998年当時)によると、東南アジアでのテレビアニメの放送は視聴率が70パーセントを超えることもあるという。東南アジア諸国では、ママがドラえもんの道具でやり込められると子供が大喜びする という特徴も見られる。
アメリカ合衆国では、1985年にCNNのテッド・ターナーが50話分の放映権契約を結んだものの長らく放映が実現しなかったが、2014年よりディズニーの子供向けチャンネルディズニーXDで放送が始まった。このアメリカ放送版は、単なる吹き替え版ではなく現地の文化や生活習慣に合わせて様々な変更を加えられたローカライズ版であり、舞台をアメリカの架空の街に移し登場人物名も英語名風にするなどアメリカの視聴者になじみやすいように設定に改変を加え、フィクション作品の中でも健康的な食生活を推進するという規則に従ってのび太が食べるおやつがフルーツになるなど、アメリカの子供番組の放映基準に合わせた細かな画像の加工や差し替えも行われている。日本では2014年7月から8月にかけて行われたイベント『テレビ朝日・六本木ヒルズ夏祭り SUMMER STATION』にて日本語字幕版として初公開上映 を経て、2016年2月1日からディズニー・チャンネルにて『Doraemon』のタイトルで日本語吹き替え版の放送を開始した。
スペインでは、上述の漫画版のように複数の言語で放送されて高い人気を得ている。2014年の9月から12月には94年の放映開始から20周年を記念して、視聴者参加型のアトラクション番組「Doraemon Land」がシリーズで放映された。
台湾の歌手周杰倫のアルバム『魔杰座』のシングルPV「時光機」 や、マレーシアの歌手四葉草のシングル「伸出圓手」 は、『ドラえもん』を題材にしている。
中国各地で2014年に開催された「ドラえもんの秘密道具展示会」は大盛況となり関連グッズも売れたが、産経新聞は9月末から10月始めにかけて複数の中国紙が「われわれの傷みをドラえもんでごまかされるな」などドラえもん批判を行ったとして、「掲載のタイミングが一致しておりいずれもメディアを管理する共産党宣伝部の指示を受けて執筆したものとみられる」「反日姿勢を強める共産党当局の逆鱗に触れたとみられる」と報じ、成都市共産党委員会機関紙でドラえもんが日本の文化大使や2020年東京五輪招致の際の招致スペシャルアンバサダー(特別大使)を務めた(2013年4月5日 - 9月7日)ことなどに触れて「ドラえもんは国家としての価値観を輸出し、日本の文化戦略で重要な役割を果たす」「ドラえもんが善良な人たちの目に映る日本を象徴しているとすれば、侵略の歴史を隠し、国際的な緊張状態を招く安倍晋三政権もまた日本の真の姿だ」などの批判がされたというが、中国でもドラえもんの人気は高く、この官製メディアのドラえもん利用批判に対しても一般市民の反応は「「ドラえもんVS共産党宣伝部」というのをアニメでみたい」など冷やかだとした。2015年5月、読売新聞によれば2012年の「ウルトラマン」シリーズ以来(同年には尖閣諸島国有化を巡って日中関係が悪化していた)、中国の一般映画館で上映される日本映画の新作としては3年ぶりに『STAND BY ME ドラえもん』が上映された。同年9月23日には中国淘宝網で『拜托了!小叮当』のタイトルで実写版が公開された。また2016年9月より日本航空が中国路線を中心にJALドラえもんJETを運航している。
一般に、『ドラえもん』はアジア圏・南米圏で高い人気を得る一方で、欧米諸国では人気が奮わない場合が多い。このような傾向に関して漫画評論家の米澤嘉博は、「単に生活や風習の違いだけでは解釈することのできない、メンタルな部分がそこにはある」と述べている。
2004年に、すべての作品を収蔵した「ドラえもん文庫」が開設された。作者の出身地で知られる富山県高岡市の高岡駅前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、富山大学横山研究室である。これはドラえもん研究で知られる富山大学の横山泰行教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。
収集家の間でも入手困難とされる、てんとう虫コミックス初版初刷の単行本第1巻から第10巻を含む全45巻を所蔵している。
雑誌のフルカラーのコピーも所蔵している。書籍の内容は、当時連載していた小学館の学習雑誌などに掲載されていた全作品を原寸大で複写し、フルカラー作品はすべてフルカラーで複写して、それを製本化して収めたものである。
藤本の生前より、後輩の漫画家、元アシスタントの漫画家、アシスタントとして勤務中の漫画家らによって『ドラえもん』の関連作品等が多く執筆されている。没後も、後輩の漫画家、元アシスタントの漫画家らによる各種作品の執筆が継続されている(1997年から2003年までは藤子・F・不二雄プロ(藤子プロ)の作画スタッフによる執筆も行われた)。
その多くは各執筆者に一任された作品で漫画執筆に藤本は関与していないが(学習漫画等)、中には上記の『ドラ・Q・パーマン』のように藤本が大まかな下描きを行い、その後の作画のみを任せた作品もある。後者は実質的に「藤本と作画担当者の合作漫画」だといえるため、絵柄が異なるという点だけで第三者のみの作品とは判別できない。
以下に、藤本以外が作画を行った作品を一部だけ記す。
この他、ドラえもんのキャラクターを用いた学習漫画などが数多く出版されている。
特記のない限り、著者は藤子・F・不二雄。〈中公コミックス 藤子不二雄ランド〉のみ中央公論社より、その他はすべて小学館より発行。『大長編ドラえもん』については、「大長編ドラえもん#書誌情報」を参照。
出版物の節に記載されている書籍以外で、本項で主に参照した文献を挙げる。なお、ドラえもんに関する書籍はここで挙げたもの以外にも多数出版されている。
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